自分の問題とすることで受ける恵み

今日は色々と思うところがあったのですが
色々と思う中で

神様は 人と自分の境界線を
はっきりと区切ることの大切さを
いつも示してくださっているなぁと
感じることがありました

クリスチャンになった頃に
預言者さんから
あなたは食べ物の温度にまで
こだわる人だと言われました

当時は それは私ではなく
当時の主人のことであり
私のことではないと思いました

しかし りゅうくんと結婚すると
りゅうくんが 用意した食事を
放っておき冷ましてしまうことに
怒ってしまいました

折角作ったのに
美味しいうちに食べてくれないことが
とても不満だったわけですが
これこそが境界線の問題です

本来の私は温かいものを
美味しく食べることを幸せだと
感じているのに 自分に対しては
ずぼらになっていたわけです

更に言うなら 自分は手を抜いているのに
りゅうくんに対してはしっかりと
美味しく食べてほしいと
ある意味 投影をしてしまっているわけです

しかし神様は そういった
自分自身の本質を理解した上で
丁寧に扱うことを示されました

それは 神様が私の中に造られた
「良いもの」であり それを
りゅうくんに教えることが
神様のみこころだったからです

もし私が最初からきちんと
自分の本質をわかっていたら
りゅうくんに対して怒るのではなく
教えることが最初から
出来たかもしれないのになぁと
思わなくもありません

しかし 私自身の本質を
引き出す環境を用意されているのも
神様であるので

私自身が理想について
思い巡らすことは
神様のご計画と比べたら
遥かに低いものであり
持っていたら神様のご計画と
競合してしまうのです

そのような思いは抱え持っても
何の益もありませんから
捨ててしまいます

上手に捨てられないなら
手伝ってもらいながら捨てます
(主にりゅうくんに頼むわけですが)

そのように 自分の思いを
捨てることが出来ること

それこそが本当に恵みであり
感謝であるといつも思います

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