預言が大切な理由

今日は 先日広尾の教会で受講した
メッセンジャーのクラスの補講でした

金土日の日程だったので
金曜日分をビデオ受講してきたのですが

今神様に示されていることと
ぴったり符合しており
今日 この時に受けるべき
タイミングの内容でした

ざくっと概要を言うと
この地において 私たちは
イエスさまを信じて受け入れた時に
神様の子とされ その瞬間から
神様に愛され喜ばれている

という土台をしっかりと
自分の内に持つことについてでした

それは 例え肉の世においては
要らない子だと言われたり
期待はずれだと言われたとしても
神様は イエスさまを信じて受け入れる人を
無条件に愛することを既に
決めてくださっている ということです

そして 洗礼を受けた時に
神様の手により霊的に生まれ変わりますが
霊的なことでばかりではなく神様は
あなたが母の胎に形作られるより前から
あなたを知っていて

ある仕事を成し遂げるために
あなたに才能も能力も賜物も恵みも
備えてくださっている というのです

それは 人が望んだからとか
結果を出したからとかではなく
神様があらかじめ ある必要のために
あなたを作ったということなのです

例えば 譜面台という道具がありますが
これは譜面を持ちながら奏楽することが
不便だと感じ 解決しようとした人により
構想されてこの世に送り出されました

同じように 私たちは
神様が今 この時代の問題をご存知で
その解決の器として私たちを形作られ

その仕事のための全ての必要を
あらかじめ備えた上で 私たちを
この世に送り出してくださっていて

その仕事に向かい始める時に
喜びと 神と人からの好意が
その人の回りに溢れ出すのです

ですから 自分が神様から任命されている
仕事を知ることは大切です

何故なら もし譜面台で土を掘れば
譜面台は壊れ 土を掘る人の手も傷つくように

あらかじめ備えてくださったものを
備えてくださった方のイメージ通りに
用いなければ 本人も周りの人も
傷付いてしまうのです

クリスチャンだから牧師になれば
神様の仕事をしている…という
ものではありません

本来牧師として神様から
任命されていないのに
親からの期待で牧師になってしまい
本人も教会員も幸せではない
という状況が有り得るのです
これは とてつもなく重要なことです

しかし その仕事はあくまでも
この地にいる間の一時的なものであり

クリスチャンになった時に
与えられる立場というのは
神様に愛され喜ばれた子
というものだけです

逆を言えば だからこそ
クリスチャンで牧師なのに
本来の仕事をしていないから
幸せではない という状況も起きえる

故に 神様からの語りかけ
神様からのメッセージを伝える
メッセンジャーとなることを
熱心に求めることは重要なのです

第一コリント人への手紙14章

1節 愛を追い求めなさい。また、
御霊の賜物、特に預言することを
熱心に求めなさい。(中略)
3節 預言する者は、徳を高め、
勧めをなし、慰めを与えるために、
人に向かって話します。

—–

以下は完全に蛇足で
少し個人的な話になりますが

この話を聞いたとき 私は
クリスチャンになってすぐの頃は
自分のアイデンティティを
自分の能力や役割に
持ってしまっていたなぁと 思いました

具体的に言うなら
良い仕事をする人であったり
夫に愛された良い妻であったり
不完全な親を助ける子どもであったり

とにかく 役割こそが
自分を形作ると思っていたのです

しかし完璧主義ではなかったし
むしろ 少し問題があるぐらいの方が
親しみやすく人らしい と思っていたので
その役目さえ与えられていれば
安心だと思っていました

それは ワーカーホリックという
状態を引き起こし 休むことに
恐怖を持つので体調を崩してしまうので
次のステップでは自己管理の鬼となるわけです

収入はそこそこあり
失敗による体験談もあり
結婚もしていて
仕事と遊びのバランスも良いのですが
何のために生きているのか という
虚しさがいつも付きまとっていました

また 私は人に愛されることが
とても苦手でした

人の不完全な愛

見返りを求める愛と向き合うのが
心底嫌だったのです

なので 私は自分がされて
嫌なことはしないようにしましたし
何も返せない人だけに
無条件に愛を注ぎました

それでも コントロールをしようとする人は
近付いてくるのですが
注意して避けていました

なので 目上の人に愛されることや
与えてくれる人との関係構築が
私は物凄く下手でした

技術者という仮面でしか
付き合いをしようとしなかったからです

はいはい 役立って便利だから
愛してくれるんでしょ
いいですよ演じますよ
愛はいらないけど生きるために
仕方ないからね

と いう感じです

そうなった理由は 親が
そのように私を愛したからに
他なりませんが

人は不完全な存在ですから
それに対してあれこれ思ったこともない

強いて言えば 周囲には
愛を求めて苦しむ人ばかりだったので

愛を求めない自分はきっと
欠けたものなんだという
劣等感があるだけでした

ところが 完全な存在が
本物の親とはどんなものか
本物の家族とはどんなものか

愛されるとはどういうことかを
教えてくださったわけです

それも 私が求めたからとか
そういうことではなく
何がなんでもそれをあなたに与えて
わからせる と言わんばかりの方法で です

神様は 私の劣等感を取り除き
孤児の霊を追い出してくださったのです

人本来の 私本来の姿を
教えてくださったのです

今であれば 親とはどういうもので
子として安心して生きるということが
どういうものかというイメージは持てます

まだまだ自分は完全には
そこに行き着けていないとは思いますが
少なくとも以前のように
愛し愛されることが全く
わからないとは思いません

神様は石の心を取り除き
肉の心を与える方であると思います

他にも書きたいことはたくさんありますが
追々 書いていきたいと思います

本当に深くて素晴らしい学びの時間でした

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