我慢をしなくて良い安全な環境

昨日 感じたこともないような思いが
引き起こされることを書きましたが

感情を味わいつつも
この感情の根拠は何だろう ということを
同時に考えます

すると 余計な感情の裏にあるものは
私にとって何の意味もないものが殆どでした

勿論 意味がないと思っていたからこそ
感じたことがなかった感情なので
逆を言うと どうして今そんな無意味なことに
心が動いているのかと考えました

それで思ったのは イエスさまの愛や光を
ものすごく強く感じることによって
自分の中のゴミがあぶりだされている
ということでした

素晴らしい行い 素晴らしい愛に触れる時
自分がいかに小さいものであるかと
自分が恥ずかしくなるようなことがある

それに感覚としては近いと思いました

しかし今起きていることは
周囲の人が自分勝手をするので
自分が我慢しなければいけなかったために
言えなかった我が儘を言っている

安全で受け入れられる環境になったので
我が儘が言えるようになったから言ってみた

という感じです

しかし 言いはするものも別に本心としては
どうでもよいと思っているのですが

しかし こんな我が儘で身勝手な思いが
自分の中にあったんだなーと
それはそれで良いことのような気がしました

その思いを一通り味わった後に
よし 十分味わったのでこれは捨ててしまおう
いつも通りに 赦す祈りをしようと思いました

そのことは思っただけで
口に出して言ったわけじゃないのですが
その瞬間にりゅうくんが

今の澄子の姿こそが本当の謙遜
と言いました

最近 りゅうくんは過去の私に対して
傷つけたことを悔い改めて
突然謝ってきて優しくしてくれたりします

こっちは喉元過ぎてるので何のことか
まったくわからないのですが

よくわからないけど幸せでいいなぁと思います

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