人の思いを乗り越える

今日は すこし凹むことがあったのですが
その後の神様からの語りかけは
本当に 仰る通りだと思うものでした

あなたは本当に 難しいことは簡単にするのに
簡単なことをするのが下手ですね

わたしはいつでも 両手を広げて
飛び込んでくるのを待っていますよ

小さな不安 小さな心配がありました
本当にこれでいいのかな と思っていたら
ある意味「期待通り」に それは
無かったこと キャンセルになっていました

心配したせいでキャンセルになったと思うか
心配事が本当にならないように
神様がストップをかけてくださったのかは
どちらでもいいのだと思うのです

以前 りゅうくんが休みのシフトを間違えて
私の誕生日に出勤予定を入れてしまったことがありました

すごく凹んだのですが バイト先に行くと
入れたはずのデータが飛んでしまっており
再度シフトを入れなおすこととなり
無事に 私の誕生日をお休みに出来たことがありました

失敗をしても 神様は
ご自身の栄光を表す機会として
用いることが出来る方なのです

もし 人が人の方法で完璧に出来るなら
神を必要としない生き方へとなっていくでしょう

敵や悪意を持った人からも自分で身を守り
不意の出来事や 時流の変化にも
人の力で対応していくことになります

しかし 神様と共に生きたいと願い
神様の栄光を表す器として用いられたいと
本気で願うなら 神様についていくしかない

どんなに良心が責めようとも と
聖書には書かれています

あなたを愛している と
神様が仰ったら
私のどこに愛される要素があるのかとか
思っても無意味であるわけです

神様が愛するつもりであなたを創造した
と 仰ったらそれは真実で真理であるわけです

話は戻りますが

簡単なことをするのが下手

と言われた理由は
イエスさまをお兄さん(お兄ちゃん)と
呼んでねーという示しに対してでした

しかし そのように呼んでみると
私たちは家族なのだ という実感が
深く深く与えられました

しかしなんだかこそばゆいわけです
暖かいものが溢れてくるのが
どうも慣れないわけです

神様をパパと呼ぶのも 最初は
こそばゆかったな~と思いつつ

変わるべきは私自身の感覚ですから
慣れたいと思います

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