神様のご計画

今日は 礼拝の後に
様々なことがありました

手話を教えて頂いたり
ゆっくりお話をしたり

子どもたちからは
夫婦!?夫婦なの!?と
わかりやすい反応を貰ったりw

とても豊かな時間を
過ごすことが出来ました

教会を出てからも寄り道をして
ドーナツ屋さんでQTをしました

昨日のQTで 創世の時から と
語られましたが 今日も
その続きのように神様は
語ってくださいました

愛する澄子 わたしが人を造ったとき
落とされたものたちは嫉妬し
彼らは自らの思惑で人を落としたが
しかしわたしはあなた方を諦めなかった

わたしはあなた方に助けを送り
あなた方と共に地を取り戻す
あなたがたを教えて
あなたがたを成長させる

子どもは何人生まれようとも
その子はその子であり 代わりはいない
ひとりひとりに命があり召しがあり
わたしの計画がある

あなたがあなたの人生を歩まなければ
誰があなたの人生の計画を為すだろう

わたしがあなたを通して
注ぎ出そうと計画する思いは
あなたによってのみ この地に注がれる

この語りかけを受けた時
自分自身が神様に繋がり続けることは
勿論なのですが
自分の人生を歩いていない人が
滅びから離れ 神様に繋がるように
祈ることにも召されている
と思いました

これは 全く特別なことではなく
聖書全体から読み取れることです

滅びに向かう肉の行いや
敵の誘惑から離れて
神様の造られた秩序に留まり
安全な中で神の義を第一とすれば
必要は全て与えるから心配するな
日々の必要を祈るのは異邦人のやることだ

異邦人 神を知らない民は
必要を求めて祈るが
神の義を第一とするなら
そんなものは祈る必要はない
全て与えるから 余計な心配をせず
あなたは自分の仕事をやりなさい

それがこの地を 万物を
創造された方の約束で

異邦人もわたしの民となる
というのが神様のご計画です

クリスチャンになる前
日々の必要のために働き
老後の心配をして
力がない人のことを憂い
弱きものから奪う人に憤慨し
排他的で高慢な人に憤っていた

罪や恥を隠したがり
悔い改めの機会を求めず
それは墓まで持っていくものだと
滅びを見ている人々に
私は憤っていたのです

しかし自分が幸せにならなければ
何の説得力もない

でもこんな世界で生きることに
何の意味があるのか と思いました

私は命を渇望しており
そして それは与えられました

私の憂いの全てが
神様にしてみれば
余計なことだったのです

私は知ることになりました

力がないと思っていた人こそが
排他的で高慢であり
神の造られた秩序に対して
唾を吐いていたのです

私は知ることになりました

弱きものから奪うように見えた人は
善きにしろ悪しきにしろ
秩序に忠実な人でした

神を見ているか この世の君を見ているかで
質が変わりはすれども
悪いものは神様が良いものへと
変えてしまわれるのです

人が良し悪しを議論などする必要もなく
全ては神様のみこころひとつ
良いものも悪いものも神様の
被造物に過ぎなかったのです

私が憂いていた全ては
私の無知の故でした

この世は不条理でも何でもなく
人が何を画策しようが
全ては神様のみこころひとつであり

その上で神様は人に
協力者となることを
求めておられたのです

地の管理者として人は造られたのに
罪がその仕事を阻むのです

しかし神様は人からその仕事を奪い取らず
失敗したからと滅ぼすことはせず
仕事が出来るように助けることを
決めてくださったのです

それほどに 人を愛してくださったのです

聖書には 人がなぜそのような
余計な煩いの中にいるのかが書かれていて
そこからの解放が書かれているのです

聖書には 全てが書いてある

そして 聖書の神は本物の幸せとは
何かを教えてくださいました

全ての解決 それはイエスさまです

自分が解決に生きて
自分が幸せでなければ
何の説得力もないのです

自分を造られた方に留まれることを
心から感謝します

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