敬虔を学ぶ

カウントダウン賛美の時に
みことばが書かれたカードが
配られたのですが
私が受け取った聖句はこれでした

第2ぺテロの手紙1章5-7節
こういうわけですから、あなたがたは、
あらゆる努力をして、信仰には徳を、
徳には知識を、知識には自制を、
自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、
敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。

この聖句を頂いた時
忍耐までは出来ているけど
敬虔 兄弟愛 愛は十分じゃないな
と感じました

そもそも 敬虔というのは
なんとなく使われている漢字で
ニュアンスはわかるけれど

人に説明出来るほどには
きちんと知らないと思ったので
まずは言葉の意味を調べてみました

すると 矢張り意味を深くは
理解していなかったことがわかりました

敬虔とは(wikipediaより)
敬虔(けいけん)とは、古代ギリシア以来の
西洋の徳目の1つであり、親や神々に対する
忠誠心、崇敬心、孝心を意味する。

キリスト教で敬虔というと、信心を意味する
プロテスタントの用語である。

キリスト教では 単純に敬うとか
忠誠心とかいう意味ではなく
信心を意味しているというのです

敬虔という言葉は 人に向かうのではなく
神様に向かうものであるとわかりました

以前書いた 御国の尊敬の文化というのも
相手のありのままを尊敬することではなく
神様によりその人が良く変わることが出来ると
信じることを意味することを学びましたが

正に この敬虔という言葉は
そのような意味なのです

この事を知った時 実は最近感じた
ある出来事を思い出しました

それは ある人や ある問題が
あまりにも頑なだったり
あまりにも突破口が見えない時に

多くの人が あの人のあの性格は
変わらないよ であるとか
この問題はどうにもならないと
諦めることばかり言うのを聞くときに

自分の中にだけは 絶対にそんなことはない
神様はこの問題をどうにかしてくださる!
という信仰が与えられることがあります

そして その問題について神様に
助けてください!助け手を送ってください!
と祈ると 自分がその問題のために
用いられることが多いのです

これは 最近学んだノアの信仰の話で
納得が出来ました

方舟を作るときのことです

ノアは 神様から直接語られましたが
神様から語られる時には 信仰も
セットで与えられるのだそうです

しかし 語られた以外の人は
語られていないので信仰は与えられていない
だから 多くの人は否定的に言うのです

偉かったのはノアの家族で
聞いていないのに父の信仰を信じ
父についていった これこそが
霊の家族としての姿勢と思いますが
それでも 語られた本人のような
信仰はなかったはずなのです

この話を受けて 弟子訓練を考えるとき
私は イエスさまが弟子3人だけを連れて
山に登り 姿が変わったときのことを思います

モーセとエリヤが現れ ぺテロが
幕屋を作る人でもないのに
幕屋を作ると言ってしまい
神様が この者の言うことを聞きなさいと
語りかけられた時のことです
(ルカの福音書9章28-35節参照)

イエスさまには 神様からの
直接の指示や語りかけがあり
イエスさまには強い信仰があります

しかし弟子たちは直接は
語りかけられていないので
実はよく意味がわかっていないのです

しかしイエスさまからの指示を
それが理解出来ても出来なくても
実践する時に 神の栄光を見るのです

例えば 5つのパンと2匹の魚の奇跡は
イエスさまから受け取ったパンを
配りなさいと言われたから配ったので
奇跡は起きました

しかし 信仰心は貰っていないので
そのような素晴らしい体験をした後でも
舟にパンを持ち忘れたことで
議論してしまったのです

イエスさまはその時に
信仰心を貰ってないから仕方ないねとは
仰有いませんでした

まだわからないのですかと
言われたのです

ノアの家族の中で
お父さん 洪水なんて来ないよ
だって水が降ってくるなんて
見たことも聞いたこともない

と 言う家族はいませんでした
(当時まだ地上に雨はなかったのです)

みんな 父が受けた啓示を信じ
方舟に乗り込みました

わからなくても従う ということは
神様との関係を深めようとする時に
避けて通れない重要な段階なのです

話を戻しますが

敬虔が足りてないな と思ったのは
そもそもで 神様から直接語られておらず
多くの人が これは無理だと諦めている
事柄に関することだったのです

彼らに同調することも出来ず
しかし自分自身に神様からの
直接の語りかけと信仰が
与えられているわけでもなく

どうしたものかと思うような問題に対して
忍耐は出来ているし
神様がどうにかしてくださると
信じてもいるけど

でも愛するのは無理だよーと
思っていたなぁと思いました(^_^;

りゅうくんにその事を話すと

僕だって自分で変わりたいと思うし
自分の嫌いなところを愛されても困る

と言っていましたが

嫌いってところで一致してても仕方ないね
神様の思いで一致しないとだね
と 言いました

冒頭の聖句 敬虔と兄弟愛と愛を
加えることには約束があります

この約束のためにも 神様の目線に立って
愛を加えることはとても大切です

第2ぺテロの手紙1章8-11
これらがあなたがたに備わり、
ますます豊かになるなら、あなたがたは、
私たちの主イエス・キリストを知る点で、
役に立たない者とか、実を結ばない者に
なることはありません。

これらを備えていない者は、近視眼であり、
盲目であって、自分の以前の罪が
きよめられたことを忘れてしまったのです。

ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、
あなたがたの召されたことと選ばれたこととを
確かなものとしなさい。
これらのことを行なっていれば、
つまずくことなど決してありません。

このようにあなたがたは、私たちの主であり
救い主であるイエス・キリストの永遠の
御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです。

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