神への従順

聖書のみことばや
本や聖会 礼拝などで示された
教えの言葉の全てを

もし 文字通りに受け止めるなら
同時進行で全て行うことは
絶対に不可能であると思います

また 聖書の中でもイエスさまは
ダビデが 祭司しか食べてはいけない
パンを部下にわけたことを例えに
神様の御心は 律法をただ守るだけの
ことにはないことを示されました

一番大切なことは 神様の御心を
知り それに従順になることです

神様は暴君ではありません
もし 神様の御心であるなら
人の目には時ではなくても
恵みは降り注ぎます

イエスさまが初めて奇跡をなされたのは
招かれた結婚式で ワインが
なくなった時でした

母マリアは イエスさまに
ワインがなくなりましたと言うと
イエスさまは はじめは
まだ時ではないと言います

しかし 神様がどれ程に恵み豊かで
愛に溢れた方かを知るマリアは
従者に この人の言うことを
何でもやってくださいと言いました

従順になってください と言ったのです

すると イエスさまは
神様の御心を為されます

人にもよると思うのですが
以前の私は どちらかというと
今は時ではない とか言われたら
そうですか と引き下がるタイプでした

また 悪霊に憑かれた娘を
救ってくれと叫んだカナン人の女は
子どもにやるパンを子犬にやるのは
よくないと言われましたが

もし以前の私がそれを言われたら
本当にその通りだと思うだろうなぁと思います

しかし クリスチャンになってから
私の心に入ってきたのは
長血の女の姿勢でした

長血の女の病は 穢れた者として
人前に出てはいけないし
他の人に触ってもいけないと
律法には書かれていました

なので そんな彼女が人混みに紛れて
イエスさまに触れるということも
それを告白するということも
相当な精神力がいることです

私は 洗礼を受けてすぐの頃に
神様を求めることを浅ましいとか
もっと遠慮しろと言われるような
試練を通ることがありました

しかし 神様はそういう時に
思いも与えてくださいます

神様がレーマを語る時に
信仰も同時に与えられるのです

今日 神様は私にこのように語られました

あなたに必要なものは
律法主義ではなく
従順を学ぶことだ

ルール通りにおさまることというのは
実は 結構安心するものです

しかし神様は 敢えてそこから
人を外へと連れ出し
神様との親密な関係の中に
本当の幸せがあることを
示されるように思います

神様に従順であることは
心が落ち着かないような
道を通る中でも 神様への信頼に
留まることであると思います

最近思うのは 嵐の中の小舟で
眠るイエスさまのようになりたいな

であったりします

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