肉の命にあるテーマ

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クリスチャンになる前は
死というゴールに向けて
どのように生きるかを考えていました

しかし 永遠の命という
全く想定外の概念を受け取った時
今までの価値観を捨てて
新しい生き方をする必要性を感じました

死という期限があるのであれば
一生という短い時間をいかに
良く生きるか という考えになります

しかし 死が終わりではなく
永遠の命の始まりだとするなら
今の肉による時間というのは
一体何なのか という話になります

以前は どちらかというと
死ぬときに神様に「良くやった」と
言われることを目標にしていたのですが

最近は それよりも御国に入る時に
御国に相応しいものになっていることの方が
重要なのではないかと思うようになりました

と いうより そうなれていないなら
御国の大使としての説得力もないですし
御国がどんなところかを
説明することも出来ません

勿論 自分自身が知らなくても
こうなんですって!と
人に伝えることは出来ますが
そういう生き方は 自分自身の在り方と
マッチしていないように感じるのです

これは 誰もがそうであるとは言いません
ただ 私の場合は神様から
人を導くよう示されるとき
証をしなさい と示されます

聖書の中でも イエスさまは
証人となりなさいと仰ったことが
私の心に入ってくるし

りゅうくんを導いているときに
実感したことや
預言的に示されたことでも
一貫して「証をする」ことが
中心にあるのです

勿論 吟遊詩人のように召された人や
教育者として召された人もいて
それぞれが それぞれに
神様から召された形があると思いますから
全員が同じ意見に落ち着くとは思いません

ただ 自分自身にある
神様からのイメージを正しく認識し
そこに向かっていくことは
大切であると思います

今日 というか
最近神様から示されることは
そういう意味で とても
個人的であると感じます

御国に相応しいものへと
建てあげられる過程

それが肉の命にある
テーマであるということです

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