怒りの中に働かれる神

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神様が レーマで示してくださった
預言的な出来事が成就する時
必ずしも平穏であるとは限りません

神様が こういうことをする
と 示された翌日に事が動く
ということはこれまでに
何度か経験していますが

いずれも 私が心に秘めつつも
はっきりと言わずにいたことを
明確に伝えるのと同時に起きており

尚且つそこには 大抵の場合
怒りと悲しみの感情が伴っていました

ずっとその事が気になっていたのですが

しかし その事で神様の預言が
成就している以上は
「こうなることは神様の
ご計画の手の中にある」と
認めて受け入れるしかありません

怒りについて思うとき
イエスさまの宮聖めを思い出します

クリスチャンは怒っては
いけないと思っている人もいますが

神様が 人の憤りに報いて
事をなしてくださることが
聖書にはたくさん書かれています

モーセが 不信仰な人たちに憤り
みんなが聖霊に満たされればいいのにと
呟きましたが

今や 望む者全てに聖霊が与えられる
新約の世界となっています

もしかしたら 神様は
人の口を用いてそれを
宣言させているのかもしれません

以前 神様から
もしこの世の中がどうなったら
良いと思うか と
理想の世界について はっきり明確に
言葉にすることを促されたことがありました

そしてそれは その一度だけではなく
いつでもその事を意識するように
という思いもセットで与えられたのです

今日 りゅうくんに
あることをお願いすると
澄子が望みを言ってくれたことが
嬉しい と言われました

どういうことかと尋ねると

りゅうくんがしたいなら
すればいい と言わずに
やって欲しいとお願いをされたのが
嬉しいのだという返答でした

もしかしたらそれが
神様の御心なのかもしれません

何かのついで とかではなく
あなたが望むなら とかでもなく
私がこうして欲しいのですと
願うことを神様は喜んで
くださっているのかもしれません

にしても

怒りと共にじゃないと
それが出てこないってことなのか?
という意味でかなり複雑な思いです

もっとスマートな形で
思いを現すことが出来るように
なりたいものです

(それを神様に祈ればいいのかな(^_^;

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