神様に期待することの出来る喜び

土曜日にパンク修理をした自転車が
月曜日にまたパンクしてしまったという
話を昨日書きましたが

修理をしてくれたスポーツ自転車の
専門店に連絡をすると すぐに出来る
応急策を提案してくれました

引っ越した直後ということもありますが
今まで住み込みだったこともあり
洗濯機がないなど 物理的な必要が
たくさんある状況なのですが

今日 それに加えてパソコンまで
完成沈黙をしてしまいました

何度も経験があるのですが
こういう必要は 重なる時は
重なるものだと改めて感じます

以前 一人でいたときは
不測の事態に備え 常に
常に先手を打っていたので
このような状況に陥ることは
ありませんでした

また 世間一般を考えると
お金さえあればこのような状況は
回避出来るので 蓄えは必要だと考えます

しかし クリスチャンになってから
そのような「人間的な策」には
一切頼れないように道を塞がれ
神様の方法をいつも見せ付けられました

そしてそれらは 仮にお金があっても
絶対に得られないようなものばかりでした

人からの励ましや証もたくさん頂きましたし
神様がどうご覧になっているのかも
それらの経験を通して知ることが出来ました

どんなにお金があっても絶対に
自分で買うことはないようなものもあり
神様が与えたいものの質についても
様々な思いを与えられました

何か事が起きたとき それは
神様の新しい側面や
みこころを知るチャンスでもある

なので今回も神様の平安の中で
神様の方法を期待します
人の方法では考えられない思いです

この平安と喜びと期待に満ちた思いに
勝る宝はないと思います

神様と過ごす時間は命に満ちています

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