既に完成している救い

今日の神様からの示しは
伝道というのは 救われていない人を
救うことではなく

既に行われた救いを
受け取るかどうかの選択が
神様の愛の故に与えられている
ということを伝えることだ

というものでした

まだクリスチャンになっていない
親しい人がいたとして
その人が もしこのまま
クリスチャンにならなかったら と
思ったことがある人はいると思います

しかしイエスさまは その人のためにも
既に罪を背負って死なれました
その救いは既に完成しているわけです

ですが 人は学ばなければ
知らずのうちに罪を犯しますし
知らずのうちに罪を犯すこともあります

しかし 全ての罪をイエスさまは
既に背負われていて その上で
何が罪で何が罪ではないのかを
教えてくださいます

自分のやっていることが
罪なのか それとも
神様から出たものなのかについて
聖霊を通して人々が一致をする時

人間的な葛藤が仮にあったとしても
互いに助け合い 支えあいながら
前に進むことが出来ます

少し前に書きましたが
神様にとって 多くの人々が
神様を体験すること以上に
クリスチャンの成長に心をお持ちだと
私自身は感じています

神様が私に示されることは
私自身の成長と
私が管理すべき領域についてであり

私は 自分が任された領域に
神様の栄光を見ることを切に願い
その領域が広がることを期待するのです

しかし 人と接していると
明らかに自分の領域の外で
事が起きることを見ることもあります

以前 ある人が明らかに
間違えたことをしているのを
見たことがありましたが
その人は 私の領域の外側にいました

それが赤の他人 例えば
電車でたまたま同じ車両にいただけとか
すれ違うだけの人であるなら 私自身は
単純に 背後の霊を縛り上げる祈りと
神様がその人に触れてくださるように
とだけ祈ります

すると その場は霊的に穏やかになるので
最後に この人が神様の福音を聞く機会が
訪れるようにと祈ってその場を離れます

しかし ちょっとした知り合いだとか
身近な人になると その場限りの
祈りだけというわけにもいきません

その時は 私は神様にこう祈りました

私はこの事に気付いてしまいました
気付いてしまったのは何故でしょうか

もし 私にその人へ間違えを
指摘するためであるなら
そのように示してください

しかし そうでないなら
気付いてしまった理由を教えて下さい

何故 このように祈ったのかというと
明らかに違反が行われているのに
見て見ぬ振りをしたら同罪になると
私自身は思っていたからです

しかし 自分がその人に注意をするような
立場でもないと思ったので
見て見ぬ振りをして同罪にならないために
神様にこのように祈ったのです

すると 神様はとりなしの祈りをするよう
教えて下さいました

その人が罪に気付くように
そして罪を犯さなくなるように
神様に心を向けるようになるために
祈るように示されたのです

目の前で間違えが行われるのを
見てしまう というのも私は
神様からの試練だと思っています

これはどういうことですか?と
神様に尋ねれば きちんと
やるべきことを神様は教えてくださいます

思いの領域であれこれ葛藤するより
神様に聞いてしまえばいいと
私自身は思いますが

もし 神様の方に素直に
心を向けることが出来ないなら
背後の霊を縛り上げることや
自分自身のプライドの問題など
先に片付けるべきことが
あるのだろうと思います

最近 そういうのがかなりクリアになり
物事がシンプルになりつつあり

尚且つ そろそろ自分自身の
次のステップへと進みそうな雰囲気なので
良かったなーと思っています

シンプルが一番ですものね

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