寄り道せずに歩く

群馬に来てから3件のお仕事に
応募をしていたのですが

その中で 一番好きな仕事で
尚且つ 愛を感じるなぁと思った
お仕事に正式採用が決まりました

収入面や 自由度 業界の
将来性などを考えたら
他のお仕事の方が条件は良いかもしれない

しかし そういった選択よりも
愛を中心にして 長く穏やかに
勤め続けることが出来ることを
選ぶ方が良いという思いが与えられ

安心出来る環境が準備されていることに
心から感謝をしました

この会社の人たちや仕事のためにも
お祈りもたくさんしたいと思います

その一方で まだりゅうくんのお仕事に
良いご縁が見つかっていません

若くて健康なので 仕事を選ばなければ
働くところはあるのですが
(とは言え 群馬では免許がないと
かなり仕事が減るのですが(^_^;

かなり りゅうくんの思いでもって
仕事選びが迷走している感があり
応募先から少しきつく
甘さを指摘されたりもしていました

他人にそれをはっきり言われたことは
普段逃げ腰の本人にとっては
良い薬となったようで感謝していましたが

しかし 神様の選びというのは
自分の力で何でも出来るような人ではなく
人の目には何の力もないような人が
神様の栄光の器となる という思いが
私にはずっと与えられています

りゅうくんにとっての問題は
神様を中心にして選ぶことが出来るか
というただ一点であると思うのです

若いうちは 好奇心もありますし
自分にどんな可能性があるかもわからない

やってみたい!という気持ちだけで
無謀な道へと行きたがるところもありつつ
自分を低く見積もって
保守的になるところもある

しかし 私からして見れば
保守的になればいばらの道だし
自分の思いで突っ走れば
全責任を一人で背負うことになる

神様や 神様が置いた権威に従えば
その責任は全て神様が負ってくださるし
神様の道に行かなければ
自分の頑張り以上には決して
助けてもらえることがない

自分の人生に神様の栄光を現したいのか
それとも 自分を磨いて
自分の栄光を現したいのかなのです

勿論 為し遂げるであるとか
完成させるという点において
本人の努力は必要となりますし

不正の富に忠実でないものが
まことの富を任されるはずはない

何かを為し遂げる力をつけるだけなら
どんなフィールドであるかは関係ない

しかし そもそもでその力がないのなら
神様不在で何を為し遂げることが
出来るのか という話になるのです

この世での努力で歪めてしまい
神様に矯正して頂いている身としては

神様を知っているのに なんでわざわざ
歪めてから矯正するなんていう
回り道をする必要があるのかと思います

そんなこんなしている中で
神様がいない中で死に追い回されるという
悪夢を見たのだそうで(^_^;)

これは神様を選ぶ試験なんだなぁと
深く実感したようです

りゅうくんが 寄り道せずに
神様の用意された道だけを選べるように
どうかお祈りください

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