裁きは神様だけのもの

聖書は数度読んでいるはずなのですが
それでも 読んでいると
えぇ こんなこと書いてあったんた!
と驚かされることがあります

今日 読んでいてびっくりしたのは
出エジプト記の21章にある一節でした

出エジプト記21章13節
ただし、彼に殺意がなく、神が御手によって
事を起こされた場合、わたしはあなたに
彼ののがれる場所を指定しよう。

これは 人を殺してはならないという
律法の補足の一節です

しかし誰が 殺意なく主によって
殺したかがわかるでしょうか

ここで言う「あなたに」というのは
モーセのことですが
この律法 裁きというのは
神様の御声を聞くことが出来る人が
裁くという前提で存在しているのだと
今日 改めて思いましたし

モーセはエジプトにおいて人を殺しましたが
逃げる場所があり 主によって
守られたことを考えたら この事は
「神が御手により事を起こされた」のだと
実感しました

であるとしたら
人の事を裁くことなど尚更出来ないと感じます

勿論 赦すというのは
自分自身が赦されるためです

自分がイエスさまにあがなわれたように
この人の罪もイエスさまがあがなわれたと
言えなければただのご都合主義です

しかし そればかりではなく
神様により罪を犯すことがあるなら
それを裁けば 神様のご計画を
否定することになるわけです

いずれにせよ 聖書には
裁く方は神様のみであると書かれており
人の心をご存知であるのも神様だけ

自分の心を守るためにも
裁く思いは神様に全て捧げてしまい
掴んでしまわないに限るな と思います

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