安全な場所で賜物を用いて頂く

今日は ある明確な夢を見ました
数日前にもある別の夢を見て
予定していた行動をひとつ中止しました

以前は なんとなくこんな予感がする
というざわざわした感じはすれども
具体的にどういうことか解らずに

事が起きてから この事だったのかぁと
頭を抱えることが多かったのですが

クリスチャンになり 様々な
学びや賜物の分与を経て
神様の守りの中で安全に過ごすことが
出来るようになったので
本当に感謝をしています

最初は この感覚が鋭すぎるのを
どうか無くしてくださいと祈っていましたが
むしろ磨かれる方向に行ってしまい
最初はがっかりしたのですが

しかし 神様は与えられた賜物を
取り上げることはされない神様であり
持ってしまったからには
扱えるように育ててくださいました

そして今では育てていただけたことに
感謝を出来るまでになりました

自分の中に 自分勝手をしたために
自分の人生を狂わしてしまった賜物があっても
神様に求めるなら全てが建て直される
体験を通して この事を確信したのです

これは 福音書にある
ミナの例え タレントの例えに
通じる部分であるように感じます

神様は 全ての人に神様のご性質の一部と
才能 賜物 タラントを与えられました

それを活かして増やしたものには
良いしもべだとより多くのものを任せ

土に埋めて増やしも減らしもしないものは
悪いしもべだと持っていたものまで
取り上げてしまいました

この例え話では経済のことを
話しているだけのように聞こえますが

しかしこれは 賜物のことだなぁと思います

事実 才能 賜物のことを
英語でタラントと表現しているのを
聞いたことがありました

才能 賜物を用いて人の助けとなり
財産を増やすことを神様は良しとされ
才能 賜物を隠して何もしないことを
神様は良しとされないのです

頂いた賜物は扱いきれないので
こんなのいらないから取ってください

とお願いをしても 神様は
私と一緒であれば扱えるようになるよ
と言わんばかりに私の体験を
良いもので塗り替えてくださっています

神様と一緒でなかったから
出来なかったのであり
神様が一緒であれば出来るのです

では 良いしもべとはどんなしもべなのか
それは 神様の教えに忠実なしもべです

正に 詩篇1篇そのものであるわけです

詩篇1篇1~3節
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに椊わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

ここでいうおしえというのは
旧約聖書のモーセ5書を指しています

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