朽ちることのない宝

いよいよ引っ越しと相成ったわけですが

振り返ってみると 誰かが
この件をどうにかしてくれるといいのに
と 祈ったことを私自身が
やる形になっていたなぁと思いました

よく牧師さんたちが
神様 この事をどうかお願いします!
人を送ってください!と祈ると
大抵自分がやることになると言いますが
正にそれだったなぁと思うのです

神様は 人の思いを用いてくださる方です

事実 私が強く強く願っていたことを
本当に神様は 大切にしてくださるし

私自身だけではなく 他の人の思いも
とても大切にしてくださっているなぁと
思うことがとても多くあります

クリスチャンになる以前も
神様を求めていたし
自分の思いが形になることも
体験していたので

クリスチャンになって直ぐの頃は
神様がそれら全てを導いてくださっていた!と
物凄く単純に そう思いました

しかし 実は誠の神様でなくても
人の思いは人を動かすし
間違えた思いや人を裁く思いは
敵との契約になってしまい
負の力をもたらすことさえありました

実際のところ 神様の守りの外 というか
聖霊さまがいない世界というのは

何が正しいかの分別もつかなければ
どれが神様のみ恵みであって
どれが人の努力や敵との契約によるものかを
見分けることも出来ないわけです

ですが 神様がもたらす平安の中で
神様の思いを知る時

滅びることのない価値あるもの
神様が私たちに与えたい本当の宝とは
一体何であるかを知る時

全てから自由になった時に
見る世界があるのだと知りました

その観点で聖書のみことばを思うと
今までとは全く違う世界観があるわけです

今 本当に新しい季節に入ったのだと
しみじみと思います

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