神様の義に生きる報い

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昨日の日記の続きになりますが

仕事というものにどんなイメージがあるかは
人によって違うと思います

もしかしたら 働いた時間分の
給料を貰うことが仕事という人も
多いかもしれません

ですが 私の中には
仕事というのは 価値を社会に提供し
喜んで支払って貰うことの循環により
自分達も 社会も豊かになること

価値が増えていくことが仕事である
という思いがなんとなくいつもありました

また ルカの福音書にある聖句が
仕事をする時にはいつも
心の中心にあります

ルカの福音書6章38節
与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。
人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、
あふれるまでにして、ふところに
入れてくれるでしょう。
あなたがたは、人を量る量りで、
自分も量り返してもらうからです。

実際 繁盛しているお店というのは
気前よく与えている姿をよく見ます

逆に ケチケチしたり
値切ることばかりを言う人からは
人もお金も逃げていくのをよく見ます

私は 仕事をする時に
誠実でありたいと思います

それはまず商品に対してであり
お客さんに対してであり
故にかなり生真面目で細かい意見を
持つことも多くあるのですが

そのこだわりが強すぎる故に
同意が得られない人と一緒に
仕事をすることが大変苦しく
感じることがあります

価値観が違うのは仕方がないことです

しかし ではどうやって
落とし所をつけるべきかなのです

落とし所をつけられないなら
境界線を引くべきなのですが
仕事というのは価値観の違いで
顧客対応が変わることは有り得ません

品質 クオリティは裁量に因りますが
方向性や軸が人によって変わることは
有り得ないのです

それで出た結論は単純で
丁寧で誠実な仕事をしたいなら
丁寧で誠実な人と仕事をするしかない

ということでした

良い仕事というのは
突き詰めていけば物凄く詳細に
「人によって違う」世界かもしれない

しかし 丁寧さ 誠実さというのは
人格的な問題で
ひとつのことに丁寧で誠実な人が
他方には乱暴で不誠実ということは
滅多にありません

丁寧で誠実な人というのは
何に対しても丁寧で誠実なものなのです

よくよく考えると
誰と一緒に仕事をするかというのは
結婚相手を探すことと同じぐらい
重要な問題なのかもしれません

何故なら 一緒に仕事をする人というのは
下手をしたら 家族よりも長い時間を
共にすることになる上に
自分の人生や成長を大きく左右する部分で
共同体として生きていかなければならない

白は白 黒は黒としたい私にとって
妥協と欺瞞に満ちた世界というのは
死を意味します(実際死にます)

そう考える中で思ったことは
誰と一緒に仕事をするべきかについて
聖書にはきちんと書いてある

ということでした

それは詩篇一篇にある通りです

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、あざける者の座に
着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに椊わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。

悪者は、それとは違い、まさしく、
風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、
罪人は、正しい者のつどいに立てない。

まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。
しかし、悪者の道は滅びうせる。

悪者とはどういう人を言うのか
正しい人が口ずさむ教えとは何か
聖書には 全部書いてあり

更に言うとイエスさまは
詩篇の時代にあった教えよりも
遥かに高い水準で神様の義を示されました

しかしそこには

御国を求め 神の義を求めるものに
必要は全て与えられる

という約束が伴っています

私は 自分の必要のために
何かの奴隷になる生き方ではなく
御国の到来と神の義を求めて
必要が与えられる人生を生きたい

と 切に思いますし

事実 聖書を知る知らないに関わらず
神の義を知る知らないに関わらず

丁寧に誠実に生きている人というのは
自分のことにも丁寧で誠実であり
人のことや仕事に対しても丁寧で誠実です

取り繕いとか妥協とか
そういうのはもういりません

私は 丁寧に 誠実に生きたいのです

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