神の愛により自分の地境を広げる

神の道から外れた権力者を糾弾し
処刑されたイエスさまは
人の目には愚かかもしれません

気をつけなければならないことは
パリサイ派の人々は 自分たちこそが
神様を真剣に追い求めていると
信じていた人々でした

しかしその実態は
人が神の名の上に作ってしまった
偶像を追い求めていたのです

神様は 唯一の方であり
神という概念が多様であっても
この世を創られた方はただお一人です

神様が人をどのように愛されているかを
神様は 聖書を通して一人ひとりに
その人の成長度合や性質に合わせて
語り掛けてくださいます

ということは

神様は 同じ聖書箇所からも
一人ひとりに違うことを
語り掛けてくださるということです

人は 神様のほんの一部分だけを
担い造られていますから
神様の愛の ごくごく一部だけを
感じ取ることが出来ます

しかし経験により 愛の幅は広くなっていきます
苦しみや悲しみを通して
愛する心は増えていきます

また 人から注がれる愛によっても
神様の奥深さを学ぶことが出来ます

更に 苦しみや悲しみの中にあっても
神様は 語り掛けてくださいます

神様の愛の偉大さの前に
へりくだることが出来る時の
安心感は 言い表すことが出来ませんが

それを感じ受け取るには
自分自身の地境を広げる必要があるとも感じます

今日 りゅうくんから
神様の愛の言葉を受け取りました

最初それを読んでいて
りゅうくんの思いがかなり
混ざってるんじゃないかなと思ったのですが

しかし 神様がりゅうくんに対して
どのようにご自身を示されているかを考えた時
その言葉は 本当にイエスさまから出た
聖書的な愛の言葉であることに気付きました

それは 私にはないものです

神様が私に対して注ぐ愛は
私には ないものです

今までそのように愛されたことがないから
それがどういうものであるかわからないのです

自分が持っていないものを
神様は私に注がれています
その注がれた全てを受け取ることは
恐らく出来ていないでしょうし

りゅうくんが示してくれた
神様の言葉は はっきりと
私という器を超えた愛を
示されました

そのことに もっともっと
心も意識も向けていきたいと思います

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