自己義を覆われ聖められる神

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パリサイ人は 自己義により
神様の教えを無にしました

自分達で勝手に正しいルールを作り
そちらを守れば 神様が定められたルールを
無視しても良いとしてしまったのです

神様が与えた恵みは 人が疑えば
キャンセルされてしまうと
先日書きましたが

神様のみことば以上にこちらのが大切だ
という風に信じれば
神様の約束はキャンセルされてしまいます

なので 神様の約束を守る責任は
人の方にあります

神様の教えを守らなくても
神様は 裁きの時までは
罰を与えず忍耐すると
決めてくださいました

しかし 神様の教えを守らなければ
神様の守りの外に出てしまいます

放蕩息子のように生きても
神様は 帰りを待ってくださいますが
神様の家の外にいる息子は
父親の守りを受けることは出来ません

父と一緒に居ないと
父がその瞬間瞬間に
何を考えておられるかはわかりません

神様のみこころを知ることなく
神様はこう考えるに違いないと
勝手に決めつけることは出来ません

そういう発想が 裁きに繋がっていきます

例えば 自分が大小に関わらず
失敗をしてしまうとします

或いは 小さなルール違反をしてしまい
後でそのことを後悔するとします

また 神様からレーマ(語りかけ)を受けたのに
恐れや自我からそれに反抗してしまうとします

その時に ああ 神様はきっと
自分に対して怒って失望しておられると思ったり
或いは 神様はこんな自分も愛して下さるから
駄目なままで良いんだと思ったり
これぐらい大丈夫だ 等々

どんな思いであれ
自分で勝手に神様の気持ちを代弁することは

自分自身を神と同じ場所に置いているという
失敗やルール違反とは全く別に
罪を犯してしまうことになります

神様は 憐れみ深い方ですが
それ以上に 聖い方であり
神さまの言葉により私たちは
聖くして頂けるのです

失敗 ルール違反 罪
それらの前で 苦い思いを噛み締めつつ

自らを制することが出来ない自分の弱さの前に
神様 憐れんで下さいと祈る時に
神様は 本当に聖めてくださり
罪の性質を根っこから取り去って下さいます

アダムとエバは 自己義を意味する
いちじくの葉で自分を隠そうとしましたが
私たちが神様の思いを勝手に代弁することは
正にこのいちじくの葉と同じ
自己義であるということです

しかし神様は 生贄として屠った動物の
皮の衣を着せて送り出して下さいました

神様は 自己義をもその憐れみで
覆って下さる神様なのです

旧約の時代は動物の生贄と皮の衣でしたが
新約の時代はイエスさまという生贄と
イエスさまのみことばです

イエスさまの言葉による聖めにより
根本解決を求めることが出来る時代なのです

神様のみことばで聖めて頂くことを通して
神様のみこころ 愛を知ることが出来る

その愛を存分に受け取ることによって
神様の愛を流す器として整えられていくのです

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