神様の勝利を掴む

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私たちがどんな状況であっても
神様は勝利の立場に立っておられ

神様の方を見ると そこではいつも
勝利と喜びが溢れています

敵は 私たちにその勝利に相応しくないと
一所懸命訴えていますが しかし
イエスさまは 私の言葉により
あなた達は聖いと仰って下さいます

イエスさまのみ言葉を聴くことにより
私たちは聖められると仰るのです

ある人は 聖書の言葉の中から
好きな言葉を自分の預言として掴みなさいと言います

しかしある人は そうやって掴んだことが
成就しないのであれば 手放して
他のみ言葉を探しなさいと言います

これはどういうことかというと

聖霊を貰うと 神様がご自身の心を
直接私たちの心に語られるようになりますが
神様からの示しではなく
自分の欲でみ言葉を掴んだ時
それは実を結ばないということです

また 神様のみ言葉を 恐れの心で受け取り
どうすれば良いかわからなかった時期もありました

求めなさい と示されているのに
求めることが自分の欲であるように感じて
欲しいですと言えなかったことがありました

何度も何度もすれ違いを体験する中で
聖会や本 或いは預言的な祈りの言葉から
神様が自分に何が必要だと仰っていて
自分に何が不要だと仰っているかを
少しずつ理解するようになりました

神様の勝利を掴みたいなら
神様が どんな時に祝杯をあげているかを
知らなければなりません

はじめは 罪にまみれた異邦人の奴隷という
アイデンティティで全てを見ていました

ですが 神様に望まれて生まれた
愛された子というアイデンティティで
神様の示されたことを受け止めることで
以前は理解が出来なかった出来事も
理解が出来るようになりました

自分が 完全にその場所に
立てたわけではありませんが
理解は出来るようになりました

子どもとして 自由に自分の思いを
言えるようになるようにと
神様は促されています

子どもは 親が背負うべき責任を
背負う必要はなく
神の子が 親の責任を背負おうとするなら
自分を神とする 自己中心の罪に陥ってしまいます

しかし孤児の霊は その全てを
自分でやらなければならないと考えますし

奴隷の心を持つ人は 他人にも
奴隷であれと強要します

孤児や 奴隷の心を持つ人に屈すると
自分自身も孤児や奴隷になってしまいます

自分は神の子である と
それらの強要を押し返す時
神様は 祝宴をあげて下さいます

自分は神様の選びの子だけど
今までは失われた子だった

イエスさまは私を取り戻すために
身代わりになって下さった

ただ そのことを自分の中心に置き続ける

そのことにより 他の人が同じように
イエスさまの贖いにより救われたことを
認めることが出来るのです

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