神様のみおもいを知る

毎朝 会社で聖書通読をしているのですが
出エジプト記を読んでいて
神様に心を頑なにされるというのは
本当に大変なことだな と思いました

人が正しいことを 勿論神様は喜ばれます
ですが そこに神様の栄光が大きく現れる機会は少なく
実際 イエスさまの父親であるヨセフについては
正しい人であった という記述ぐらいしか
聖書には残されていません

ノアからアブラハムまでの世代の人についても
主の祝福を特別に受けたニムロデだけが
主の栄光を現したと書かれているだけで
あとの人達は名前が連なっているだけです

聖書というのは 殆ど全てが
神様と共に 特別な患難を通って
主の栄光を現した人の物語です

主の祝福を受けて平和に過ごした人のことは
名前とその事実が書かれているだけなのです

その中でもイエスさまは
大きな苦しみの中を通られました
無実のイエスさまに唾をかけた人の罪さえも
ご自身が背負われたのです

数年前 リーダークラスの受講が終わった時
神様が 私に何度もこう語りかけて下さいました

宥めのための賛美を捧げて欲しい

これは 神様が宥めを必要としていらっしゃる
ということです

私たちが誰かを赦す時
私たちが苦しみの中にあっても
神様を見て賛美をする時

神様は 私たちの選択により
宥められると言ってくださるのです

神様の方を見る時 どうか
このことを思いながら神様の方を見てください

神様が どれほどに私たちのことを
愛してくださっていることか

神さまのみこころを知ることが出来ることは
私たち クリスチャンの特権であり
神様は 心を同じくする同労者を求められているのです

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