赦しの先にあるもの

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今日は 気分的には日記をお休みしたいほどに
グロッキーだったのでした

というのも 私が胎内にいた頃に
母が受けたという仕打ちが自分の中で
怒りの根っことしてあることを示されたのです

この件について 神様は事前に
この聖句を下さっていました

マタイの福音書24章48-51節
ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい。』と心の中で思い、
その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだり食べたりし始めていると、
そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。
そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと
同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

私たちは仕返しをする必要も恨む必要もなく
神様が 罰して下さるという意味です

他のところには むしろ自分を虐げる相手を
呪わず祝福しなさい そうすれば
相手の頭の上に燃える炭火を置くことになる
とも書かれています

赦すこと それは自分が救われるために必要です

しかし私は出来ることなら
神様の罰がその人に下らないうちに
その人が悔い改めて 和解を出来たら
良いのにと思うのです

赦すことは出来ます
相手が苦しんでいるのを見て
水を出すことも出来ます

でも そうではなく
神様に立ち返って欲しいのです
そして和解をしてきちんと家族になりたいのです

説教はしません 教えることも違うと思います

何故なら 人の悟りで変わることはないからです
変わったように思うだけで根は全く変わりません

神様にしか出来ない御業により
全てが完成することを祈ります

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