神様の手の内で掴む自由

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一昨日 明日は自由について書くと書いていながら
あまりそれっぽくなかったのですが
書きたかったのはこの話でした

どうして神様は 食べてはいけない木を
エデンの園に植えられたのか です

答えだけを先に言うなら
「罪を犯す余地がなければ自由は成立し得ない」
ということは 理屈では知っていたのですが

先日 りゅうくんと人工知能について
話をしていた時に こういうことかと納得ったのです

人工知能に「超えてはいけない一線」を設けたら
絶対に一線を越えることは出来ません

例えば ものを壊してはいけない
禁止語句を言ってはいけない
この枠から出てはいけないといった命令があったら
人工知能は絶対にその通りにして
その一線を超えることは決して出来ません

プログラムというのは 禁止事項を設けたら
絶対にそれを死守するのです

死守 というのは 要するに
禁止事項を破る時は壊れる時だということです

自由というのは 神様が人に与えられた大切な性質です
神様は 人をロボットのようには創られませんでした

その上で 神様に対して従順であるようにと
人に教えられたのです

自由意志でもって 人の判断によって
神様の命令に従うことを求められました

それは 愛によってのみ可能であり
神様は 愛を人に存分に注がれようとしたのです

自由であるためには罪を犯す余地が必要だった
だから エデンの園には食べてはいけない実があったのです

神様を 支配者だと思うのは間違えです

支配者であるどころか 罪に堕ちた人を
独り子を生贄としてまで解放してくださり
自由を与えてくださった上で

あなたはどうしたい?と尋ねられるのです

恐れに支配されず
人やお金に媚びへつらうのではない
安全で守られた空間の中で

あなたがあなたとして
伸び伸びと過ごせる中においても
あなたは私を選びますか?

神様は そう人に語りかけられます

目の前には 誘惑も罪もあります
自分一人で生きていけるという思いも
誘惑であり罪なのです
それと並行して神様への従順という
選択肢が存在しており
強要されることは決してありません

もし脅してくるとしたら敵だけですが
神様は完全に勝利されているので恐れる必要はなく
自由 というのはその恐れからも解放された状態です

そして 誘惑と罪の先にあるのは死だけですが

神様への従順の先にあるのは
大いなる恵みと御国の相続の保証と
御国の最高権威を用いる資格でもあり
必要について心配をする必要がないという
安全で守られた「神の子」という特権です

どちらを選んでもいいのですが
神様を選べば 神様の子としての人生が始まります

神様は そもそもで神様に似せて人を創られました
神様は人を通してご自身の栄光を見たいのです

人の中にある 神様のお気に入りの性質を
神様はご覧になり 喜ばれる方なのです

神様は 神様のお気に入りとして
私たちをあらかじめ創ることを
ご計画してくださったのです

それは もしかしたら親が子どもを見て
ここは私に似たね と言って
喜ぶようなものであるのかもしれません

神様は 親という立場にあっても
支配を決してすることはありません

自由意志を大変尊重されるので
人が間違えたことを選択したとしても
あなたの自由にしなさい と送り出して
帰ってくるのを待たれる神様なのです

神様上手く行きません 何故ですか!と叫べば
理由は教えてくださいますが

神様 今は自由にさせてくださいと言えば
神様は苦笑いをしながら送り出されるのです

自由にしなさい 結果を刈り取ることを見るでしょう
ですが私に立ち返るなら助けてあげましょう

イエス・キリストの贖いの故に あなたを受け入れます

それが神様の愛で 恵みで 慈しみ深さなのです

神様は 支配者ではないのです

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