言葉と力の両輪を求める

以前も書きましたが
聖書には 福音を全世界へ伝えるようにとは
書いてありますが

全員をクリスチャンにしなさいとは
書いてありません

また 福音を伝えるだけではなく
弟子として育てるようにと書いてある

ここには人にある責任と
そうでないものがはっきりと示されています

まず 福音を伝えることにある責任ですが

神様は 人が自分の行いで自分を義とすることを
認められていません

神様は ご自身が選んだ民を集めようと
されているのであって
その根拠は人の行いではないのです

むしろ 罪により失われた人を
その憐れみとみ恵みとで
救われることを望まれており

自己義に生きる人に対しては
私はあなた方の心を頑なにすると言い

神の名で癒しや奇跡などの
「救いの業」を行ったものにも
お前など知らないと言うと預言されています

人の行いを誇り イエスさまの
教えを守らないものを指して
私はお前たちなど知らないと言うと
預言されているのです

弟子訓練をしなさいという命令は
正にこの事を指しています

一番の命令は 互いに愛し合いなさい です
赦しもここに含まれます

神様は 人を通して神様の愛を
互いに学びあうことをご計画されました

ですが実際は 人は神から離れ
不完全な上に 何が良いことで
何が悪いことかもわからずに
敵の罠を自らの身の上に招いている

その呪いを断ち切ることが出来る
唯一の方の望みは

人が自由を手に入れた状態で
自ら良いものを選ぶことなのです

神様の救いは 自由を得るまでです
しかし 長く奴隷をしていた人は
自由を得ても何をすればいいかわからず
自分の欲求や 過去の古い習慣に
戻ってしまいがちです

自分を主とした生き方で
人生を壊しているのです

しかし 新しい教育係として
聖霊が与えられました

聖霊は 神様の言うことだけを話し
何が良いことで何が悪いことかを
教えてくださいます

ですが決して強制はしません
裁きもしないし怒るのにも遅い

ただ 悲しみ嘆かれとりなしの祈りを
してくださる方であり

聖霊に尋ね求め 神様を主とする時
全てを造り変える力をお持ちです

天地創造の力は聖霊さまによります
私たちを無から造られた方ですから
全てを造り変えることは可能なのです

神様は イエスさまという言葉と
聖霊さまという力により
全てを創造され
全てを完成させるのです

そういう方が 内に住み
全てのことを教えてくださるのです

イエスさまは 様々なことを教えられてから
聖霊を求めなさいと仰られました

イエスさまの教えは高く
人に実行するのは無理なことばかりで
その実現には聖霊さまが不可欠だと
示唆されたのです

弟子たちにも 力を受けるまで
待ちなさいと言い残して行かれました

その力とは聖霊さまのことでした

神様やイエスさまのことを悪く言っても
赦されるが 聖霊さまを悪く言うものは
次の世でも赦されないと
イエスさまは言われましたが

それは 癒しや解放の良い御業を見て
悪魔の仕業だと言った人たちに対してでした

ですが 大切なことは
聖霊さまの御業だけに
偏らないことです

イエスさまの教えを守るため
聖霊さまを求めるのであり
その教えの中に癒しや解放が
含まれているだけなのです

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