神様の平安の中に憩う

今日は 神様の愛とみ恵みにより
導かれた方に出逢いました

神様がお一人お一人を愛する愛は
例えようがありませんが

神様が愛されたように
人は愛を注がれるんだなぁ
ということも とても感じました

愛に応答し 献身する姿は
本当に麗しいものであると思います

別に 自分と人とを比較するつもりはありませんが
ふと 自分はどうして神様に献身をしたいと
思っているかについて考えると

実は 私は物心ついたころから
神様が私を造ってくださった理由を
まだ完成させていないのに死ぬわけにはいかない

と いう思いだけにすがって生きてきたのですが

その思いがあったからこそ
「自称神」が寄ってきては大惨事になるという
本当に大変な経験を何度もしています

今になって思えば 神様を求める思いを
与えてきた存在自体が偽物なんじゃないかとも
思うぐらいなんですが

ともあれ 喧騒と混乱の中にいた私を
神様は様々な事柄を用いて導いてくださり
安全な場所へと匿ってくださいました

しかし 休みなさいと言われても休み方もわからず
ただ 自分と神様との時間を求め また持ち続けました

今でも 神様が仰る「休みなさい」を
きちんと理解出来ているかと言われたら
正直 まだ自信はありません

ですが クリス・ゴアがビル・ジョンソンに
示されたというこの言葉

神様の平安に憩うということを
真に理解したら奇跡は起こる

それは 私自身もそうであると感じています

日々 神様の愛と助けの中にいることは感じますが
憩えているかと言ったら まだ周囲に喧騒はあります

しかし敵の前でも神様は食卓を用意してくださり
憩わせてくださる神様です
私はもっと深く平安に留まるべきだと感じます

事なかれを決め込み 関わりを断つなら
自分一人だけが平安に留まることも容易でしょう

ですが 神様は私をそのようには
造られませんでした

私は 私がやるべきことをやりつつ
平安でなければいけません

イエスさまが あらゆる場面で
神様から目を逸らさなかったように
神様だけを見たいなぁと思います

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