満たしと救いを求め続ける

ここ数日 本当に祈ったことは聞かれているけれど

自分でどうにかしたいと思ったことは全て
出来ていないどころか
自分でどうにかしようとすればするほど
足掻けば足搔くほどどうにもならなくなっている

ということを改めて感じました

このことは 律法があることでかえって
罪の奴隷となる ということに
共通するのだと思います

やってはいけないと思えば思うほど
やりたくない悪をやるのが肉の性質だと
聖書には書いてあるのです

その状態を「罪の奴隷」と言うわけですが

だからこそ 恵みと祝福とに
目を止めるべきであると言うわけです

昨日書いた通り 私は恵みを避けていた節がありました

今日 避けているもののうち1つの恵みから
目を逸らさずにいようとしていると
あるタイミングで 何か枷のようなものが
壊れることを感じました

壊れてしまい完全に消え失せたので
その正体が何だったのかわかりませんが
とにかく 恵みから目を逸らさないということには
力があるのだと感じました

欲に負けても駄目だし
恐れに負けても駄目なのですが

しかし 自分の弱さを偽善で覆い隠したら
もっと駄目なのです

ただ 素のままでいながらも

欲に対しては神様に満たしを祈り
恐れに対しては神様に助けを求め
全てを神様の解決に委ねる

それが 唯一の方法だなぁと
今の段階では思っています

何はともあれ

自分には無理だ とわかること

これは自分の力ではなく
全ては頂き物で預かりもので
その賜物の良い管理者とならなければいけない

一部の領域においてだけではなく
全ての領域においてそのようになりたいです

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