御国の豊かさを邪魔するものを取り除く

今日は 最近書いている
自分は欲しくないものを
神様は与えたいと思っている

という話を少し掘り下げようと思います

自分には それは別にいいですよと思っても
神様は しかし私はそれを与えたいと仰る

自分はみ恵みを避けているけど
神様はご自身を全て現す方です

ご自身の栄光のために
私を選んでくださったのですが
私がそのみ恵みを受け取らなければ
神様の栄光を現すことは出来ません

どうしてみ恵みを避けるのか
み恵みを喜べないからです

どうして喜べないのか
傷や苦味があるからです

神様は ただ癒しを与えるのではなく
癒されたいと願って欲しいと仰る方です

盲目の人に あなたはどうして欲しいのかと
イエスさまは仰いました

イエスさまにはそれが可能だと信じきって
目が見えるようになりたいですと言ったので
その人は目が見えるようになりました

ここには二つのポイントがあります

心から目が見えるようになりたいと思っていること
そしてイエスさまにはそれが可能だと
信じていることの二点です

ちょっと前にある預言者さんが話していましたが
誰もが癒されたいわけではないのです
癒されないメリットを掴んでいる人は
癒されると嫌だから癒されたいとは言いません

傷付いた ということは
その背景には傷付けた人の存在があります

神様が与えようとする回復を受け取るには
ひとつの条件があるのです

簡単に言えば赦すこと なのですが
赦すには 自覚が必要です
自分が何故傷付いているのか自覚がないと
赦すも赦さないもないのです

実際 私の内にはかなりこういう面があります
そもそも怒ってないし相手を裁いていないから
赦すも赦さないもないのです

しかし確かに傷付いていますし
それを解決していないので
私を傷付けた人と同じタイプの人との
付き合いに支障をきたしています

同じタイプというのは何を指すか
それは愛を感じるポイントのことです

結論から先に言うなら

私に不足していたのは
傷付いた自分自身に対する興味と
傷付けたタイプの人と和解したいという心です

怒ってないし裁いてないけど
その人と互いに愛し合うのは嫌だったのです

もっと言うなら
その人を愛するのはいいけど
愛されるのが嫌でした

愛は神様のご性質ですから
愛されるのが嫌だというのは
そのまんま 神様を拒絶することになります

しかも互いに愛し合いなさいというのは
神様からの命令なので
それを嫌がるなら神様の命令に
背いていることになってしまうのです

神様が私に求めていることは

どうであったら傷付かなかったのか
自分が本当はどう扱われたかったのか
自分の人生の一体何が破壊されているのか
どうであれば幸せなのか

そのことに気付き それを求めなさい
ということです

実際 そこまでないと
人との関係が回復し得ないのです

互いに愛し合いなさい というのは
自分が相手を愛するだけではダメなのです
相手から愛されることを求めないとなのです

そして それを自覚して求めるときに
神様は全てを与えてくださるのです

いらないものを求めるのはとても難しい
しかし何故神様がそれを求めて欲しいと
思われているのかは充分理解しています

命令だからというだけではなく
それが私に必要だからです

私はあまり物欲がありませんが
その事は決して美徳ではありません

物欲がないということは
ものを貰っても喜びが少ないので
喜びが少なければ感謝の心は出て来ません

しかし 人の中にはプレゼントを貰うことで
愛を感じる人もいます

そういう人が 愛を込めて物をくれても
私にはあまり感動がありませんから
その態度は相手を傷つけることがありますし

私も失礼をしてしまったと
物凄く凹むことが多くあります

しかも 物欲に対して罪悪感を感じつつ
そこに幸せを感じる人がいたら
私がいるだけで相手が勝手に罪悪感を感じる
なんていうことすら有り得ます

とにかく 物欲がないということは
全く美徳ではないのです

求めて喜び分かち合うことが
御国では褒むべき態度です

実際 そういう世の中の方が豊かです

しかし よくよく考えてみると
物欲が初めからなかったわけではなく
物を貰うことが嫌になる経験が
私の人生にたくさんあることに気付きます

そういう心の傷に気が付いて
ひとつひとつ解放をしていくことで
プレゼントで愛を感じる人とも
良い交流が出来るようになっていく

…はずです

これが 私がまだ受け取っていない
神様が与えたいものの正体です

こういった面は様々な人にあると思います
実際 私が苦手とする人たちは
私がとても大切にしているものを軽視します

軽視するばかりか踏みにじってきますが
そういうことはしないで欲しいと
神様にきちんと言わなければならない

そしてそれは 神様に対してだけではなく
人に言わなければならないこともある

互いに愛し合うには
そういうことも必要なのです

愛に心を開くことで自分のキャパシティ
地境を広げることが出来ます

何に対して心を開くかは重要です

誘惑や破壊 妥協や盲目に心を開いたら
破れ口を作ってしまいます

しかし愛に心を開けば
良いことしか起こりません

人間関係の和解 回復というのは
こういったことの積み重ねの上に
あると感じています

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