思いをも与えてくださる神

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今日も 昨日の日記と同じ流れであると思いますが

最近 教会の姉妹や礼拝メッセージ
或いは仕事の中で触れる神様の愛についての
証を聞いている中でとても感じるのが

「神様のご好意」です

例えば 自分が気に入っている人がいて
その人に何かをしてあげたいと思うことがあります

何かをあげたい 何かを喜ばせたい
そう思う時 何の見返りも求めていないし
ただ一緒の時間を楽しく過ごすことが出来て
その人が喜んでくれれば十分だと思います

ですが もしそのように接しているうちに
その人が あなたは自分で好き勝手にやってるだけだよね

という態度を取り始めたら

ああ 甘やかしてダメにしてしまったなぁと
自分が好意を注いだことを悔やみます

そして境界線を引くようになります
この人には無条件の愛を注いではいけないんだな
と 思うようになります

逆に 与えることで劣等感を感じる人もいます
与えられてばかりでお返し出来るものがないと言って
どんどん自分を小さくしていく人がいます

そういう人にも 境界線を引くことになります
共に喜ぶことが出来ないからです

私はよく 神様は私にどんな「私」でいて欲しいのだろうか

どのように成長して欲しいと思って
こんなに良くしてくださるのだろうか と
思うことがよくあるのですが

アブラハムの信仰について書かれた箇所を読んだとき
ふと こんな思いが流れ込んできました

神様は何故 アブラハムに
大いなる国民とするという約束
アブラハムの子孫を海の砂のように
空の星のようにすると仰ったのでしょうか

アブラハムは 神様が仰ることがどんなに
非常識で非現実的であったとしても
或いは どんなにアブラハムにとって
苦しみを伴うチャレンジであったとしても
神様を信じて疑いませんでした

神様は そういう人を地に溢れさせたいと
願っていらっしゃるから アブラハムの子孫を
増やすと仰ったのではないでしょうか

ただアブラハムの肉の子どもを増やすことだけを
神様は望まれたわけではなく

アブラハムのようにご自身を信じる人を
この地に溢れさせたいと神様は思われた

だからアブラハムを祝福されたのだと感じたのです

よく 日本人は控えめだからとか
神様を求めないことを正当化する声を聞くことがありますが

別に 変わりたくない人を神様は
無理に変えようとする方ではありません

ですが 恵みを受けて それをきちんと
伝承するために聖霊と共に歩める人を
神様はあらかじめ選んで置かれているのです

控えめな人もいますが
大胆な人もいます

思いが与えられた時に
自分が変わることを望む人もいるのです

神様は 人をご自身のイメージ通りに創造されました

縛っているものを取り去りさえすれば
神様を愛するために作られた者たちは
神様を知り そして神様のみ恵みを
人に伝えていくようになるのだろうと思います

変わりたくない人を神様は無理に変えようとはされません
変わりたい人を神様は招かれるのです

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