神様に同意をし続ける

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よく 謙遜と卑下を勘違いして表現をする人がいます

しかし 似ているから間違える では済まないぐらいに
聖書の神様は明確に「卑下」を否定されています

このことは とても重要なことです
否定をするということは
卑下する言葉というのは
神様から離れる言葉であるからです

その理由は単純に 卑下する 卑しめる
という言葉を調べてみるとわかります

卑しめるという言葉には
取るに足らないものとする
下品である 軽蔑する
蔑むといった意味があるのです

聖書を読んでいる人であるなら
聖書の神様が全く逆のことをいつも
言われていることがわかるでしょう

神様は人に対し いつも自分自身の品性を下げたり
軽蔑したり 取るに足らないものとして扱うことが
ないようにと いつも励まされています

何故なら そのように扱うなら
そのようなものになるからです

更に言えば へりくだったつもりで
敵の嘘に同意する言葉を発してしまえば
そこを破れ口にしてしまいます

敵に力を与えるような言葉は
一切使うべきではないのです

私たちはいつでも神様が言うことに
同意をするべきであり

神様が否定をされることに
同意を示すべきではないのです

対して謙虚というのは
控えめ 慎ましい へりくだる 素直
といった意味があります

上述しましたが 大切なことは
何に対して素直になるか ということなのです

当然ですが 私たちは神様に対して素直であるとき
敵の言うことに対してはノーと言う立場になります

敵の嘘に対して素直であるようにとは
聖書にはひとつも書いてありませんし
それこそが罪であるとはっきり書いてあります

神様に反したことを言う敵に
同意をすることを神様は
罪だとはっきり仰っているのです

何に対してでも素直になっていたら
混乱した人生を送ることになります

面白いことでもありつつ
真理でもあるわけですが

自由意思を尊重する存在であれば
人に対して素直になれといった
強要をすることはあり得ません

ただ静かに あなたはこれを選ぶのか
それとも選ばないのか という選択肢を示されます

神様には恐れがないので
人が選んでも選ばなくても
態度を荒げることはありません

ですが敵に同意をしているなら
人の自由意志を認めません

恐れがあるものは支配しようとします
ですが権威は絶対であるので
権威により命令をすれば 敵は必ず従います

恐れによる支配がある人から
敵の影響を取り除き
光による解決を求めた時

そこに神様による介入を見るようになるのです

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