迫害が幸いである理由

今日の神様からの示しは
どうして迫害があったら喜ぶべきなのか

ということに対する答えでした

聖書に書かれている この事が
一番的確にそのことを現しています

使徒の働き5章35b~39節
イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。
というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、
彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、
従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。

その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、
民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、
従った者たちもみな散らされてしまいました。

そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、
放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、
自滅してしまうでしょう。

しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを
滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは
神に敵対する者になってしまいます。

迫害はあります ですがそれは
力ある神に遣えている証拠であり
もし 本当に力ある神に遣えているなら
敵対する者が神に敵対することになるのです

イエスさまの十字架への道を弟子は邪魔しましたし
パウロの投獄への道も 多くの仲間たちが
引き留めようと邪魔をしました

例えクリスチャンであるとはいえ
恐れが全くなくなることはない
まして 自分のこと以外については
普通の人のように振舞うことは多いです

ところが本人からは恐れが取り去られるのです

神様からの号令があり
それを確かに聞いたのであれば
近くの人ですら その道を阻むものになりかねません

ですが 正しい人は知っています
もしそれが本当に神様から出たものであったら
反対をしたら自分が神に敵対する者となるのです

間違えた存在を神だと信じて掴む存在は
滅びの道を行くことになります
敵の罠にかかることほど馬鹿らしいことはありません

そういう人のためにはむしろ
救われるように祈る必要があるぐらいなのです

正しいことをしていて迫害を受けていることは
実はとても幸いなことなのです

マタイの福音書5章10節
義のために迫害されている者は幸いです。
天の御国はその人のものだからです。

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