神様と作る土台

神様はマイナスをプラスにしてくださる神様です

ですが 敵からの脅しに翻弄されて
恐れたり混乱することに対してイエスさまは
助けて下さいつつも いつも弟子を叱られました

神様の私たちに対する期待は
神様の権威を纏った者として
敵の攻撃を踏みつける者となることです

ですから 敵からの攻撃を止めてくださいという
祈りは 基本聞き届けられません

その祈りが叶うのは 終わりの時であり
その時までに全ての人に
地を取り返す召しを伝えるのが
私たちの使命であり

敵から地を取り返すために立ち上がる人を
呼び起こすわけですから 戦い自体は止みません

ですが 自分自身でそれらの声に対して
権威を振るうように導かれるのです

神様の勝利を常に宣言するものとして
クリスチャンは召されています

先に書いた通り 敵に力を与えるのは
恐れの心や罪 そしてそれは
弱さに対する妥協から引き起こされます

人は神にあって強くなることが出来る
そのように信じることが御国の尊敬の文化です

家の鍵を閉めないことを決め込んで
泥棒が入りませんようにと
祈ることはお門違いです

そういった間違えた祈りに力を与えるのは悪魔です

とは言え 家の鍵をうっかり閉め忘れてしまい
守られますように!と必死に祈ることは
悪いことではないと思います

ですが うっかり忘れることが週に
3回も4回もある人に対して
良き管理者として家を任せることは出来ないでしょう

良き管理者として建て上げて下さい!
という祈りは聖書的な祈りであると思います

人生の管理者 家庭の管理者 組織の管理者など
何らかの役割 賜物を人に備えられていると思います

少なくとも自分の人生の管理者は自分です

子どもという訓練期間はありますが
いつまでも子どものままということはありません

私たちはいつまでも神さまの子どもです
完全で完璧な人はいません

神様に管理者として建て上げられることを
喜び 地境を広げることは神様の御心です

聖書には 蛇のように聡く
鳩のように素直でありなさい
というみ言葉があります

神様のみ恵みとみ教え 訓戒には
いつも心をオープンにし

悪魔の誘惑や脅しに対しては
彼ら以上の強さと権威で打ち砕く

人がそのようであることを
神様は望まれているのです

その神様が 今の状況にどのような
導きを下さるかを求めること

その心こそが飢え乾きの心です

神様と一緒に 自分の人生の良き管理者になることほど
素晴らしい生き方はありません

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