和解のはじめ

どんなに相手を思い遣っていても 愛していても
相手を大切にする方法を知らなければ
その思いは空回りをしてしまい
時には大切にしたい相手を傷つける結果になります

人を傷つける時 あなたを思ってやったということは
免罪符にはなりません

思いがあっても通じていないなら
それは独り善がりになってしまいます

結婚をする前のお付き合いの時期に
神様は私に 自分の取り扱い方をきちんと
りゅうくんに話すように促されました

自分のことを話すのはあまり好きではないので
結構な抵抗がありましたが

最近 あることをきっかけに
りゅうくんがその話題を持ちかけてきました

どう接してもらえると大切にされていると感じるか

という話です

相手に興味を持ち 相手を知り
相手が喜ぶことをやる

というのが相手を大切にすることだと思うのですが

しかし 思っているからこその
すれ違いというものが存在することも確かです

むしろ 相手を思い遣って言ったつもりのことが
相手を傷つけてしまうことがある

そういう時に 傷付けられた人が
傷付いた ということを
相手に伝えて受け入れられるなら
それは傷として残ることはありませんし
関係が壊れることもありません

要するに 傷付いた側の心の態度が重要になるのです

和解のはじめは 傷付けられた人が
傷付けた相手を赦すことです
それがなくして和解は始まりません

もし 傷付きながらも何も言わないなら
必ず同じことを繰り返すことになります

ブレイクスルーを体験することなく
同じところをぐるぐると回ってしまいます

ですが 傷付けられたことに怒りを抱いたまま
その怒りを相手にぶつけるように伝えるなら
相手は防御しますから たいていの場合関係は
拗れるか 壊れるかしてしまいます

しかも もし相手が本当に心がない人であれば
傷付けられた時以上に傷付けられるかもしれない

そういった恐れがあるからこそ
心で赦すだけで終わらせたいのですが

傷ついた という経験をした時に
ただ赦すだけ というのは結局は
何の解決にもならないのです

もし ただ赦すだけで黙っているなら
関係が深まることも改善されることも
進展 発展をすることもありません

赦しに加えて行動が
大切である理由はここにあります

また その時に自己防衛してしまわないよう
また 相手に自己防衛をさせてしまわないよう
神様の介入を求めることも
安全な場を作るという意味でとても重要です

近い人であればあるほど
心が無防備であればあるほど
小さなことだと思うようなことにでも
傷ついてしまうことがあります

しかしそこに愛があるなら
関係性を深め合うコミュニケーションで
互いを強め合うことにもなります

そうやって 強められる場があってこそ
外に出た時に柔軟な強さを持って
人と共に何かを成すことが出来る人に育ちます

愛に基づいた信頼を築く力を持つということは
とても大切なことであると思います

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