小さなことに忠実になる

教会に「解放」というテーマが実を結び始めてからこちら
色々な解放を体験しています

例えば 全く忘れていたような怒りを突然思い出して
手放す祈りをしたり 悔い改めの祈りをするわけですが

そうやって手放していくにつれて
煩わせるような問題が去っていくのです

要するに 自分自身が心の底に持っている怒りが
煩わしさを呼び込んでいたのだということです

しかし面白いことに
そうやって煩わしさが減って行けば行くほど
更なる難題 難しい事柄が起きてきます

難しくなればなるほど
自分の手に負えなくなるので
最初から自分の努力には頼らなくなります

簡単な問題であると
ついつい自分でなんとかしようとしてしまう
だけどそういった問題に手を出さずに
神様の介入を求め 聞き届けられた時に
もっと複雑なことを預けられるようになる

小さなことに忠実な人は
より大きなものを預けられる

そういうものであるようにも感じます

先日 教会で ある2人の姉妹に質問をされました

どうしたら神様の声が聴けるのかとか
神様やみ使いの姿が見えるようになるのか

その時に 出てきた思いはこれでした

どんな小さなことでも神様に祈っているうちに
神様の方から語り掛けてくださることが出てきて
いつのまにやら親しくなっていた

という「関係性の積み上げがあった」ということです

突然見えるようになったわけではありません
と いうより 見えるようにとか聞こえるようにとか
祈っていた部分とは違うところで
神様はご自身を示されはじめました

常に常に 神様の声を求め続けて
常に常に祈り続けていることに関して
神様は ご自身の御思いを示されるようになったのです

私の祈りが聞かれたというよりは
見せたいから見せてくださったという感覚であり

ある面において同労者として認めてくださった
という感覚の方が近いように思います

最初はむしろ そんなことを私に言うの?と
びっくりするようなことがスタートで

私が驚くことを神様は
楽しんでいらっしゃるように思います

どんな難題であろうと神様にとっては
どのようにでも出来ることですが
それを 人に預けられることを神様は決められた

ご自身で全てをやってしまうのではなく
人を同労者として選んでくださり
人との関係を楽しんでくださっている
そのように感じています

神様との関係は楽しいよ ということを
私たちを通して伝えるためだと思います

ある預言の時間 りゅうくんは言われていました
あなたはゲームを楽しんでいるが
それと同じように神様との時間も楽しいよ

それは りゅうくんが受け取った預言ですが
夫婦である私にも向けられたものだったな と
日々実感することに感謝します

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