弱さを受け入れる

悪魔には力がない と言って信じる人は居るでしょうか

ですがこれは真理です 悪魔そのものに 力はありません
悪魔は人が力を与えない限り決して力を発揮しません

人が欲に駆られて 或いは妬みや恨みに駆られて
或いは脅迫に屈したり 嘘を信じるなら
悪魔に力を与える そして悪魔は力を持ちます

悪魔の力の源は 人なのです

神さまは 人が求めようが望まなかろうが
何の影響も受けることなくご自身の御業を為されます
ですが悪魔 偶像の神は 自分に力はないので
人を脅したり騙したり盗んだりする必要があります

だから悪魔は 自分の性質を受け入れる人を探します
脅しに屈する人を捜し求めます

或いは 耳障りの良い偽善で人を誘惑します
御使いの振りをすることだってします
人がそれに同意してくれさえすれば
彼らは力を得ます

しかしそれは あくまでも悪魔側の視点です

放っておいて 相手にしなければ
彼らに力はない このことはとても重要です

ところが 人が悪魔の力を招くことがあるのです

ギャンブルや薬物 犯罪は 人生を破壊しますが
心のどこかで破壊を望む人は それらに手を出します

妬み 恨み 赦さない心もそうですし
間違えた誓約も 悪魔との契約になってしまいます
人を見て裁き 自分はああならないと宣言するなら
それは悪魔との誓約になってしまうのです

おまえになど良いことは無理だと言う人も同じです

尊敬の文化では 神様があなたにさせてくださる
神様にはそれが可能だと信じることこそ
御国の尊敬の文化だと教わりました

また 行動することを恐れる人も 悪魔を招き入れます
悪魔に邪魔をされれば行動しなくて済むからです

ですが それらの弱さを神様は全て背負い
慰め励ましてくださいます

ルカの福音書22章31-32節
シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを
麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。

しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、
あなたのために祈りました。だからあなたは、
立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。

弱いことは問題ではありません
悪魔に力を与えることだけが問題です

自分は自分だけで生きていけると思っている人を
悪魔は相手にする必要がありません
全く驚異ではないからです

そういう人は悪魔に喜ばれています
悪魔が被せた覆いの中で真実を見ることなく
茹でガエルのように死んでいってくれるからです

そこから目覚めさせようものなら
敵の攻撃は免れないのは確かですし

もしその人が目覚めたくないと思っていれば
攻撃は救おうとする相手から来るのです

イエスさまも 救われる権利を持っていたはずの
ユダヤ人に殺されているのです

しかし神さまは優しくて良い神さまです

私達には伝える責任を与えられましたが
目覚めさせる責任は人には負わせませんでした

信仰も賜物であると聖書に書いてある
であるとしたら 誰を目覚めさせるかを
決められるのは神様です

悪魔に力がないこと
悪魔に力を与えるのは人であること

その真理に対して覆いが取られることを
願うことはとても重要なことですが

自分にある責任と向き合うことになるので
多くの人はこのことに目を開きたくない

しかし 全ての不義への責任は
イエスさまが背負ってくださったので
自分の弱さを認めて告白するものは解放されます

人のものを盗まなければ力もないようなもの
ましてや人の力を盗んで破壊をするものに
力を与える必要は微塵もありません

しかし 何かを恐れているもの
産み出すことを嫌がっているもの
自分が為すべきことから逃げたいもの

救いに預かることを恐れるものは
自ら進んで悪魔に手を貸します

霊的戦いは 外ではなく内で起こるのです
自分の中に霊的戦いを招く理由があります

その弱さと向き合い 認め
主権を神様に委ねようとする時

神様は喜んで あなたの神となってくださるのです

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