霊の親子

最近 (クリスチャンではない)人に
アドバイスを貰う機会があったのですが

根が素直なので よし 言われた通りにしよう!
と思い動いたら痛い目に遭うということがありました

どうしようかなぁ と思っていたら
教会の信頼している父親的な人から
「そんなの自分で頑張ることはないよ
神さまに全部責任を委ねればいいじゃない」と
さらっと答えて頂いてしまいました

普段 自分でもよく言っていることですが
他人が絡むと難しく考えてしまうのが
自分の弱いところだなと思いました

ですが その弱さを補ってくれる人を
神さまはきちんと備えてくださっている
その事にとても感謝をする日となりました

最近 感じていることがあるのですが
賜物というのは人に遣えるために頂いており
自分のための賜物を持っているのは
自分ではなく他人です

ですが「あなたのためを思って」という思いで
近寄ってくる人は危険です
それは神さまから出たものではない場合が多く
傷つけられることもあるからです

何より そういう間柄というのは
本当に簡単に壊れます
神さまが定められたものではないからです

霊の親子というのは 神さまが定められたもので
人の思いで繋がるものではないと感じます

必要があって互いに支え合う人や
互いに愛し合う友人としてとして
祈りの支えをする関係も勿論あります

しかし神さまが置かれた親子の関係というのは
特別なものを感じるのです

必要な時だけの助言者ではなく
離れていても会話がなくても親子だし
良い時も悪い時も親子であるという感覚です

そういう間柄に置かれた人の助けを
受けることが出来ることというのは
とても素敵なことだと感じます

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