聖書にある子育て

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ある聖会のメッセージを聞いていて
とてもシンプルなことに気付きました

神様は 目的を持って人を創られました
ということは 一人ひとりに神様の召しがある

神様は その召しがある子どもを
男と女とを選びその人に預けられますが

聖書には 子どもに好き勝手に
させてはいけないと書いてあります

神様の召しに歩けるように
教え導くように書いてあります

子どもの自由にさせると子どもは傷付くと
その聖会のメッセンジャーは明言していました

今 振り返り 正にその通りだったと思う
親が子のための正しい道を知らせないと
子どもは傷ついてしまうのです

しかし その話を聞いた時 もう一つの
とてもシンプルな真理に気が付きました

親は 神様から子どもを預かるだけではなく
子どもを育てるための必要も与えられる

親は 自分以外の誰かのために
その子を育てるのに必要なものも
全部与えられて それを受け取った上で
子どもを育てるのです

必要に対する犠牲は払いませんが
子どもに対して時間を費やし思いを費やし
預かった必要を正しく運用するという
労力=犠牲を払う必要があります

その犠牲に対して神様は必ず報いてくださり
対価 報酬もきちんと神様から支払われます

この真理に気付いた時 なぁんだ と思いました

神様の召しを持つ子どもを
神様の召しへと導くことは
男と女とに与えられた神様の召しなのだ

と すとんと腑に落ちたのです

その為の必要は全部神様が与えてくださるし
撒く種も水も神様が与えてくださる

神様の仕事なのだから当たり前なのです

ですが それらが全て与えられる故に

親が陥ってはいけない罠が
いくつかあると思っています

それがどういうものであるかは
敢えてここには書きませんが

そこに陥らないために必要なことは

神様の召しを持つ子どもを預かり
そこへと導き 召しへと捧げることをゴールに
子育てをすることだと思いました

「子どもの好きにさせてはいけません
 そうすると子どもは傷付くから」

子どもに関する事業をしており
子どもたちにパパと呼ばれている
メッセンジャーの言葉です

とても 染み入りました

子どもに自由にさせてはいけません
そんなことをすれば子どもは傷付くから

正しい道を知らない時
確かに傷付いたのです

同じ思いをさせてはいけない
その為に何をすればいいのか

それは 正しい道を教えること

そういうことなんだなぁと思いました

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