滅びゆくものを羨まない生き方

昨日の日記で 揺さぶりをかけられた時に
今までと違う感覚がある ということを書きましたが

それに伴い 神様からの語り掛けの深さも
増していることを実感する日となりました

霊的な騒々しさがあっても 今までなら
煩わしいなぁ と思い それを
打ち砕く祈りをしていたわけですが

今日は 煩わしいという思いすら湧かずに
喧騒があるはずなのに 静かな中で神様と一緒にいて
今まで神様が私に伝えようとしてくださっていたのに
私が聞くことが出来なかった語り掛けが聞こえる

という体験をしました

それは とても不思議な体験でした

その時に 神様から語られたことは

あなたのことを私は対価を支払って買い戻した
あなたの負債はわたしが全て背負ったということを
深く理解するように という促しでした

その言葉を聞いた時 今までにないような
深い平安が与えられ 本当に何も
心配しなくていいんだという感覚がありました

勿論 この事は今までも理屈では理解していましたが
感覚で言うなら 神様にすがるような感覚でした

また 赦されたことにほっとするような感覚も
時々得ることがありました

言うなれば その感覚は罪人としての感覚です

今日与えられた感覚を
どう形容すればいいかわかりませんが

「神様の家の子」であるということが
やっと腑に落ちた ということかもしれません

親にとって子どもというのは
いつまでも子であるのと同じように
子にとって親は いつまでも親です

ですが 子はいずれ大人になり
自分自身が親になる日が来ます

しかしそうなったからと言って
親の子であることには変わりません
それは 何か意識的に行われることではなく
自然にそのようになっていくものです

しかしもし 親という仮面があり
子という仮面があるとしたら
相手によってその仮面を付け替える必要があり
3世代いる場所での振舞いがわからなくなってしまいます

私の育った環境は 仮面と本音と建前とが
色々入り交ざっており大変混乱していました

そんな中 私は どこに本音があるのか
疑わしい人の言うことは
信じないことにしていました

何故なら そういう人は相手や気分により
言うことがコロコロ変わるので
振り回されることになるからです

私は 人の本心がどこにあるのか
いつも見定めようとしていました

しかし神様は その様子を霊的に見せてくださいました

私の内側にではなく 外側に青い透明な壁があり
その向こう側で起きていることに
私は混じわりたいと思っている

だけど神様は それを遠くへと押しやりました
その壁の外は虚構であると神様は仰いました

壁が遠くへと押し広げられるとき
その壁に引っかかって遠くへと押しやられる人もいれば
その壁を越えてこちら側に来る人もいました

こちら側は 神様が作られた自然のままの世界で
青い壁の向こうは 人が作った虚構でした

神様は この世界を自然に戻そうとされていて
外側を羨むことを止めるように示されました

私にとって その壁の向こう側は
子どもの頃に感じていた「大人の世界」でした

神を感じることが出来なくなり
自然の美しさを感じることが出来なくなり
人が作ったものだけに頼る世界で

そこには戦争がありました

恐ろしく感じる反面で
そっち側に行かなければ認められない
相手にされないという思いがありました

ですが それは虚構であると
神様は仰るのです

今なら その意味はよくわかります
確かにそれは今 虚構だとわかります

私は 神様が押し広げられようとする世界に立ち
神様の領地を広げることを手伝うものとして召されたのであり
虚構の中で滅びようとする人たちを
1人でもこちら側に招くことが使命であり

その壁を越えるのは彼等であり
私ではない ということなのです

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