心の動機

今日は 神様からたくさんの示しがありましたが
ざっくり大きくまとめると以下の二つでした

ひとつは 表面上やることが同じであっても
大切なのは心の動機であること

もうひとつは 本質にある問題を解決しなければ
手を変え品を変え 繰り返すということです

後者は 先日のガジマ牧師のお話にあった
問題の根に触れるという話なので
別の記事に書きたいと思います

今日は 心の動機について書きたいと思います

例えばですが

自分が何かをやろうとしていた時に
誰かに他のことを頼まれるとします

相手の頼み事を受け入れるには
自分がやろうとしたことを止めるか
後回しにする必要があるとします

その時に

後で怒られたり嫌みを言われるのが嫌だから
相手に頼まれたことを優先するとしたら
恐れが心の動機になっていると言えるでしょう

媚びや恩を売るため 見返りを求めてやるなら
下心が動機にあると言えると思います

ですが 相手が大好きであるとか
頼まれたことが 自分のやろうとしていたことより
良いことだ 価値があると思ってするなら
それは良い動機だと言えるでしょう

このとき頼んできた相手が神様の場合
自分がやることよりも
神様がやって欲しいと言うことの方が
遥かに高いに決まっているからそっちをやる
という 信仰による選択も良い動機となります

いずれにせよ 自分の思いを一旦横に置き
方向転換をする必要があります

良い動機で動く時 喜びが溢れます
その喜びは神様から来るものです

ところが 頼んできた相手が悪魔で
誘惑するために言ってきたことであった場合
それを掴むと大変なことになってしまうし

人から出たものであったなら
その人の心の動機に左右されることになりますが

悪魔はあたかも御使いのように装うことが出来て
それを見極めることは人には出来ませんし

人から出たものの場合 心の動機が
恐れなのか欲なのか愛なのか信仰なのかを
表面的に見極めることは やっぱり人には出来ません

ですが 神様は全てご存知です

だから神様に これを掴んでいいですか?
掴むべきですか?と確認を取ることで
神様の守りの中に留まることが出来るのです

自分のことも 自分以上に神様はご存知なので
自分の動機が良いものか悪いものかわからなければ
それも神様に確認することが出来ます

自分の欲で悪い動機だと思って避けていたことを
やりなさいと促されることもたくさんありましたし

良いことだと思ってやっていたことを
止められたこともある

そうやって矯正されることはとても大切です

もし自分のことを歪んで見ているなら
必ず他のことも同じように歪んで見ています

そしてその見方は「的外れ」なのです

神様は 互いに愛を現しあってもらいたい
人と人との関係を愛で満たして欲しいと
願っておられます

ですからトラブルの元となる「的外れ」を
取り去って欲しいと願う時 神様は
願いを聞き入れて下さいます

神様に 自分の心を近づけることを願う時
それは神様の願うところでもあるのです

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