「神様の愛」の場を作る

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今日の神様からの示しは
以前 尊敬の文学スクールや
預言のセミナーで学んだことを
主観的な観点で噛み砕いたものでした

神様は 一人の人には全てを与えず
賜物に応じてその一部を与えられ
それらが全て揃い 神の御心が地に現れます

もし 誰かが神以外のものに捕らわれていたら
全てのパズルピースが出揃わない

全ての人が神の御思いを知り
受け取ることが出来るように
安全な場を作るために
協力的であるべきだし

全ての人が神の御心を地に現すことは
神にあって可能だと信じることを
神様は義としてくださる

逆に 一見すると罪や欲や恐れや
俗悪なものにまみれているような人を見て
神様であってもその人を聖めることは
無理だと思うのであれば
それは神に対する不義であるということです

人の努力に頼るなら
聖くなろうと思わない 俗を好む人は
神に近付くことは出来ないかもしれません

ですが 神様はいつも人にチャレンジと
その何百倍もの祝福を用意して
良いものを選ばせてくださる神様です

俗を好む人は 自分にとって
心地よいもの 特になるものが大好きですから
喜んで聖まっていくようになります

むしろ俗を好む人よりも
ストイックで自分に厳しい人の方が
み恵みを掴むのは下手だと感じます

しかし神様は そういう人にであっても
受け取りやすいようにしてくださる

賜物に応じて 神様はそれぞれを
導き成長させることが出来る方です

神様の愛で場を作る ということは
人が神の御恵みを受け取りやすい環境を
作るということです

無理に勧めても 人は選びません
良いものであれば選ぶというわけでもない
親切にされれば喜ぶ人もいれば
親切にされると引いてしまう人もいる

人が選択をする根拠は人それぞれです
しかし 神の子羊は羊飼いの声を聞き分けます

神のみことばを蓄え それを
神の御心に沿って用いれば
それが最も力がある ということです

神に義とされるためには
心の動機が御心にかなうものでなければならない

自分がその義に忠実であろうとするとき
自分の栄光ではなく 神の栄光が現れます

自分のことが褒められてしまうというのは
何かが間違えている証拠なのです
褒められ 慰めを受ける必要があるから
褒められてしまうのです

それは 考えてみれば惨めなことです
神の愛に満ちて 人に与えるものであれば
人からの慰めは必要がないはずなのですから

しかし そのような弱い人であっても
神の愛に満ちていけるように
神は助けることが出来ます

神様にだったら 全てが可能なのです

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