良いことだけを見るとはどういうことか

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教会である祈り会に参加していたとき
私が今 霊的にどこにいるのか
何と一致をしているのかを
教えられたことがありました

そして事実として 今私はそこにいます
正確に言うと 向かおうとしています

クリスチャンになってからの
数年だけではなく
自分の人生全体のことを 神様が
解き放とうとされている

その流れの上に居ることを感じています

その中で ひとつの確信を得ることがありました
それは山上の垂訓と言われる
イエスさまの教えについてです

律法には 人を殺しては行けないと書いてあるが
心で人を呪うなら それは殺人である

といった教えが並ぶわけですが

これにより「心で思うだけなら罪でない
実際にやってないからいいじゃない」
と いう言い訳を神様は認めないことを
はっきりと示されました

どうしてイエスさまが来られたタイミングで
その事が明かされたのかと言えば

イエスさまにより その事が
可能になるからでした

心に思うことをもしない

それは簡単なことではありません
ですがイエスさまのあがないと
聖霊さまの励ましによってそれが
可能となるのです

もし 自分にはそれが出来ると思うなら
それは自分を義としていることになり
神様から離れるものとなります

神様から離れるということは
敵の攻撃があったときに
守ってもらえないということです

この地は 神様が造られた
素晴らしいもので満ちています
全ての人が その素晴らしさを体験し
人生を壊すものを受け入れなければ
素晴らしいものだけで満ち溢れます

ひとりひとりがそのようなものであること
というのは 単純に

悪者が 一見得ているかのように見えるものを
羨ましがらないことが始まりです

羨望を持たない

それは 無関心であるということです

神様がなさる良いことだけに関心を持つ
愛にだけ 神の義にだけ関心を持つ

そういう人が地に溢れたら
どれ程力強いことでしょうか

そういう世界を望むことが
御国が来ますように という
祈りなんだな と思います

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