遣えるために注がれるもの

最近 よく見るビジョンがありましたが
そのビジョンがどういう意味であるかについて
教会の姉妹が祈ってくれた時に
預言的に示してくれました

神様と自分の関係について
自分でどういう状況であるのか
よくわかっていないことが多く
人から示して頂くことが多いです

預言的な祈りというのは
そういう意味でとても励みになります

霊的なみ恵みというのは
自分が意識するしないに関わらず

或いは自分がその場に居る居ないに関わらず
神様が定められた人の元に降り注ぎます

しかしそれは その人個人のためのものではなく
その人が誰かのために用いられるためのものです

神様の力は 支配するためにあるのではなく
養い育て 建て上げるために用いられます
神様自身が そのような謙遜な方であるからです

昔の人は 神に対し力による支配を求めましたが
しかし本物の神様は 人と友になることを望まれました

友達が悪いことをしていたら
どうするでしょうか

友達が困っていたらどうするでしょうか

神様は 人に対してそのように接してくださる方であり

肉体を持ち限界がある私たちと違い
常に常に 愛し養うもののために働かれています

イエスさまは 遣える姿で現れましたが
イエスさまは 神様が為さることを真似られ
自分がしたいことは何一つしなかったと仰いました

イエスさまの生き方は 神様のご性質そのものであり
その姿は 謙遜でありながらも威厳と力に富んでいます

私たちを造られた方がそういう方であるということ
そのことが本当に素晴らしいと思うのです

ヨハネの福音書13章12-17節
イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、
彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。

あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。
あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。

それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、
あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、
わたしはあなたがたに模範を示したのです。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。
しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。

あなたがたがこれらのことを知っているのなら、
それを行なうときに、あなたがたは祝福されるのです。

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