神様による訓練

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今日の神様からの示しは
今まで考えたことのない方向性での
訓練についての話でした

クリスチャンを殺すことに燃えていた
サウロ(パウロ)が宣教を始めた直後

彼はユダヤ人から殺意を抱かれますし
当然クリスチャンからも恐れられ
なかなか信用してもらえません

しかし彼は熱心に宣教したのです
元古巣のユダヤ人たちに対しては
特に 神を崇めておきながら
本物の神を迫害していることを
伝えたいと思ったことでしょう

しかし救いたい人々が
彼を殺そうとしています

結局は 彼の弟子たちがサウロを
逃がしていますが
自分から逃げたのではないのです

その後も同じです

バルナバの仲介で エルサレムの
クリスチャンに受け入れられ
そこでユダヤ人に伝道しようとしています

しかしユダヤ人がサウロを
殺そうとしていたので
クリスチャンたちは彼を
タルソに送り出します

サウロはここでも自分からは
逃げていないのです

後には アジアに行こうとするも
聖霊に止められ 進行方向を変えた
という記述もありますし

行こうとしたがサタンに阻まれ
行くことが出来なかったという
記述もあるのです

自分が述べ伝えたい人がいる所にではなく
神様が連れていきたいところへと
連れていかれているのです

自分が伝えたい人に対してではなく
神様が伝えなさいという人々が
救われているのです

これに対して 神様は私に
これもひとつの訓練の形であることを
示してくださいました

私も 伝えたい人になかなか
伝えることが出来ず
行こうと思うところとは
違うところに連れていかれていることが
結構多くあります

神様が連れていってくれる所にしか
素晴らしいことはありませんから
自分の思い通りになる必要は
全く感じていませんが

ですが 救いたい人がいるのに
そっちに行けないと解るときは
やっぱり それなりに凹みます

そして 祈ります

自分以外の誰か
彼らを救う召しがある人が行って
彼らが救われる機会を賜れるように

私はこのことを ただの通過点
過程のひとつのように捉えていました

ですが 神様はこれも訓練だよと
示してくださいました

その経験を通して 練られるものがある

確かにある似たような経験を通して
自分が練られることを感じています

そしてそれは

訓練だと気付いた時に
自分の中で意味が変わります

今日は その第一歩を
踏み出す日となったように思います

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