ただ与えられるものを流す

以前 神様から偽善者にならないように
という示しと共に 「良い子になること」を
徹底的に崩されたことがありました

本心ではない行動であるとか
自分に嘘をつくようなことは一切
神様によって崩されました

ですが 納得いかないことを言われた時に
「ここはあなたが譲り相手の言うことを飲みなさい」と
示されることがありました

その時の感覚こそが「忍耐」だと思うのです

偽善 独善というのは
自分の思いによって 善悪を判断することです

そもそもで 人は善悪の判断をするようには
創られていませんでした

人に対し 善悪を判断する実を食べてはいけないと
神様は その判断をすることから
人を離されようとしていました

人は 勝手に善悪を判断しますが
神様から出たものではないものは全て
自分勝手な 的外れなものなのです

クリスチャンになってから
自分が悪いと思っていたことを
神様は悪いと思っていなかったり

自分は悪くないと思っていたことを
神様の目に良くないことだと教えて貰ったり

聖霊を通して 自分の思い違いを
たくさん示してくださいました

神様は 求めればいつも教えてくださるし
聞く耳を持っていれば語ってくださるのです

神様から出たものは 必ず良い実を結びます
実を結ばないなら神様から出たものではありません

忍耐するべきか否かのポイントも
神様は教えてくださいます

ただ 流すものであればよく
その為に必要なことは求めることだけです

求めれば 与えられます
求めなければ自分でやらなければならない

その労苦は 死に向かうだけの
虚しいものです

神様の手の中で生きること
命の息吹の中で生きること

それだけが 心からの平安と満たしをもたらし
そのみ恵みは 外へと流れていきます

コロサイ人への手紙 2:20‭-‬23
もしあなたがたが、キリストと共に死んで
世のもろもろの霊力から離れたのなら、
なぜ、なおこの世に生きているもののように、
「さわるな、味わうな、触れるな」などという
規定に縛られているのか。

これらは皆、使えば尽きてしまうもの、
人間の規定や教によっているものである。

これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい
謙そんと、からだの苦行とをともなうので、
知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、
ほしいままな肉欲を防ぐのに、
なんの役にも立つものではない。

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