神様の歴史

少し前に書いた 神様のみ思いに対して
心が神様に向けて開かれ始めた理由

それは会社の朝の礼拝の時間に
聖書を読み 示されたことを
シェアし始めたことが要因です

りゅうくんが洗礼を受けて直ぐの頃も
40日の個人的な旅路 という本で
毎日神様に示されたことをシェアし
互いにとても建てあげあうことが出来ました

それぞれ 賜物も違えば
受けるものも違うので
デボーションのシェアは本当に
神様のみ恵みに満たされます

今日から 社長さんがカナダに
ギャザリング(神の家族の集まり)に
行ってしまい2人だけなのですが

今日の示しは本当に素晴らしいものでした

創世記11章だったのですが
ノアの息子セムの歴史から
アブラハムの父テラの歴史までが
書かれていました

ノアからアブラハムに至るまでの家系にも
神の特別な祝福を受けた人はいたことが
きちんと特筆されてはいるのですが
それはセムの家系の人ではありません
祝福は 家系に寄らないことがわかります

そして 歴史 と書かれるときには
イエスさまの家系しか書かれておらず
個人の生き様については
神と共に歩いた人のことしか
書かれていないのです

聖書というのは本当に
イエスさまについて書かれた書物なんだな

ということを実感すると共に

どんなに祝福を受けた人であっても
そんな人がいた という一言で終わり
神様と共に歩いた人だけが
歴史を刻むのだということがわかりました

historyとは his story
イエスさまの歴史のことを言うのだと
聞きましたが それは新約の時代に限らず
旧約の時代からそうだったのだなぁと思いました

そして思いました

私たちは ただ恵まれた人ではなく
神様が地に刻む歴史を現す器になることを
目指さないといけないなぁ

恵みを受けて神様の証人になること
それも勿論 素晴らしいことだけど
でも私たちはいつでも神様と一緒に
歩くものになれないと嫌だよね

いつもいつも神様がいないと嫌だよね
一緒に歩いて神様がこの地で
なさりたいことを一緒にやるのが
私たちの仕事で 私たちのいる理由だよね

そう思いました

その事を祈った後 全てのものが
本当にキラキラと輝いているように感じました

神様と一緒に歩き 神様が
ご自身の歴史を刻まれるのを
共に見させて貰うこと

それは 私たちの心からの願いです

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