自分に死ぬ

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今日のQT箇所は ステパノが神様の心ばかりではなく
モーセの心についても語っているところでした

モーセがヘブル人を助けようとして
エジプト人を殺してしまった後

ヘブル人同士の喧嘩の仲裁に入ったモーセに
ヘブル人が「エジプト人のように私も殺すのか」と
言った時のことです

使徒の働き7章25節
彼は、自分の手によって神が兄弟たちに救いを
与えようとしておられることを、みなが
理解してくれるものと思っていましたが、
彼らは理解しませんでした。

モーセは 同胞であるヘブル人は
神に祝福を約束された民であり
アブラハムの子孫を祝福する者を祝福する
と神が言われたことに対して忠実であろうとしました

その結果 モーセはエジプト人を殺めてしまいましたが
ヘブル人からはその心を理解してもらえませんでした

助けたつもりのヘブル人にこのように言われ
モーセは大変ショックだったでしょう

荒野に逃げて40年後 神様から
ヘブル人を救いにエジプトに行けと言われた時
どうしてあの人たちを私が救わなければいけないのかと
思ったかもしれません

ですが 神様はモーセの心をご覧になりました
神を求める心です

この時 モーセは選ばれたのです
神の民として選ばれ 神に取られたのです

そしてモーセは 自分の思いに死んで
神様と歩く道を歩く道を選んだのです

神様の道に歩くというのは
神様に選ばれることが先であり
自分に死ぬのはその後のことになります

自分で勝手に 神のためと言って
自分勝手な犠牲を払うことは
全然 死んでいないのです

そのような犠牲を神様は喜ばれません
何故なら 神様は豊かに与える方であり
神のためにと言って勝手にジリ貧になる人は
神様のご性質を歪めて地に伝えることになるからです

神様は本当に豊かな方です
全てを与えてくださっています
何一つとして不足はありません

もし 不足が生じるのであれば それは
神様に責任がないところで起きています

神様が捧げて欲しいのは
砕かれた心であり 慕い求める心であり

生き生きとした自己満足に酔い痴れる時
神様は 蚊帳の外なのです

早くこっちを見てくれないかなーと
神様を待たせているのです

愛は 犠牲を払います
例えば子どもが生まれて育てる時
そこに愛がなければ犠牲を払えません

神様と歩くときの犠牲は
自分自身の思いなのです

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