人に求められるもの

私と何か神様の仕事をしたことがある人は
なんとなくにでも感じていると思いますが

私は 聖霊さまに従い仕事をすることは出来ますが
(自分も含めた)人の思いにより何かを成すことは出来ません

例えば 賛美に合わせて歌詞を出すという
キーボードをクリックするだけの作業であっても
人の思いでやろうとするとタイミングが全く合わず
本当にグダグダになります

聖霊さまがやろうとすること以外において
私は普通の人が普通に出来ることですら出来ません

そのことを 以前の私はとても恥じていました
あまりにも仕事にムラがあるので
いつも良い調子の時のクオリティで
仕事が出来るようになりたいと思っていました

ですが今では このことを誇りに思っていますし
自分が「出来ない」時は 神様の御心以外が
場を支配していると判断して なるべく
関わらないよう 巻き込まれないように気を付けます

ですが 人を介してそれに巻き込まれることもあります
それは 感覚で言うと 石につまずいて転んでいる人に
突き飛ばされるような感覚であるわけですが

自分の中で明確に それが起きた時に
受け止めることが出来る人とそうでない人が
はっきりと線引きされていましたが

今日の示しは その線引きを止めて どんな相手でも
平安を保つように というものでした

平安を保つということは
人のやり方に巻き込まれずに
神様の示しに聞き従う という意味です

もっと言うなら 神様の方法に人を巻き込むことです

人に巻き込まれてグダグダになるよりも
出来ることなら 神様の方法に相手を巻き込んで
素晴らしい結果を見たいですよね

神様は当然 それを為されたいので
あとは 人がその覚悟を決めるかどうかに
かかっているということだと思いました

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