煩わしさを感じなくなるまで

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今日 感じたことは
示しとは少し違うのですが

神様は 個人個人にその時にかなった
試練を与えられるけど

複数の違うステージにいる人々に対して
そのことを良いこととして働かせる方

ということでした

以前 礼拝メッセージで聞いた話で
FBでは何度か引用している話ですが

アメリカの都心部での出来事だったと思います

うちの教会は 誰に対しても
開かれた教会にしよう!と
ある牧師が決意をしました

ところが 牧師が講壇に立ち
礼拝メッセージを始めようとすると

決まって酒瓶を持った酔っぱらいが
最前列にある牧師が座っていた席
全員から見える一番目立つところに座ってしまう

牧師もメッセージしにくいし
聞く人々もその人が気になり
メッセージに集中出来ない

彼を退けてくださいと祈り続けていたけど
その状況は長く続き ついに牧師は
いつまでこの状況が続くのですか!と叫んだ

すると神様は 煩わしさを感じなくなるまで
と 答えられた

その後 煩わしさを感じないよう忍耐を続けると
その出来事は収束するわけです

誰もにオープンになろう と思うことは
自分にとって気持ちの良くない人も
受け入れる覚悟を決めることです

もし 全ての人に福音を と思いながら
自分にとって気持ちの良い人だけで
集まることを期待するなら それは偽善です

だからこそ まずは自分
そして大切な人
それが出来てからの その周り

であると思うのです

私は若い頃 コミュニティ運営を
いくつかしていましたが
自分の信念により集まる人に対して
差別せずに接することを
決めていた時期がありました

すると 癖がある人が来たときに
その人を愛せずに離れていく人が
少なからず出てきました

でも私は それで離れていく人より
私が作る場を必要とする人を大切にしました

ですが 結婚してからは
家族が中心になりました

まず家族が気持ちよく過ごせることを大切にして
それを破壊するような人は
招き入れないようにしました

最初は その事に罪悪感を覚えましたが
境界線を引くことは大切であり
それに罪悪感を感じる必要はないことは
尊敬の文化を通して学ぶことが出来ました

外に出ていく時 或いは
新たに人々を招き入れる時 というのは

家族会議で承認を取り 全員が
同じ覚悟を持てる確認を
きちんとしてから行うような
重たい出来事です

ですが それに対して心配や警戒をするのを止めて
神様に全てを委ねて安心していることを
選択する時であるように感じています

祈りの課題はたくさんありますが
逆を言うなら

祈りで神様と一緒に乗り越えていく
という体験を積み重ねていき
イエスさまの証人となることが
私たちの仕事だと思うのです

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