見分ける力の大切さ

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預言の学びの時間の中で 預言をする者は
ただの配達人で その中身に対して
足したり引いたりしてはいけない

解釈を加えてはいけないと学びました

神様は凄い方で そのことばは
人を自由にして解放をもたらします

ですが 配達人はただの配達人であり
もし運んだ言葉で素晴らしいことが起きても
配達人が凄くなるわけではありません

しかし 想像をしてみてください

もし あなたの元に 郵便配達の人が
電報を持ってきたとします

その電報の中身が 自分が失敗してしまい
人に迷惑をかけた件についての
裁判の判決を知らせるもので

あなたは無罪で何の責任も取らなくていい
という知らせだったとしたら

感情が高ぶり 配達人に対して
まるで その人が助けてくれたかのように
感謝を現したくなっても不思議ではありません

感情が高ぶり物凄い解放を味わうとき
人は そのように振る舞うものであり
その時に 配達人が良かったですね!と
思ったとしても それは自然な感情です

逆に 仏頂面で喜ぶべきメッセージを伝えたら
聞く人が不安になってしまいます

しかし もし配達人が事前に
実はこの人はこんな失敗をしていて
それについての判決だったんだよと
聞かされていたとします

無罪放免が決まったというのに
こんな失敗をするやつには
一言いってやらなければならないと思ったり

自分の権威で無罪が決まったわけでもないのに
私に感謝しなさいと言ったり

私が伝えてやったからあなたは
自由になった 私のお陰だと言ったら
どうなるでしょうか

更に言うと それを伝えるときに仰々しく
御上からの通達です 心して聞きなさい
とか偉そうに言ってくる配達人だったら?

それは 間違えなく危ない人です

もし 預言をする人がそんな態度になるなら
こいつはこんなことをした と人の罪を
囁いてくる存在が別にいる可能性を疑います

それは嘘つきなので 言っていることが
本当かどうかも疑わしいです

何を言いたいのかというと

その情報の出所がどこであるかを
吟味することは大切なことだということです

それは神様からなのか悪魔からなのか
配達人自身からなのか の見分けです

嘘つきが変な情報を囁いたり
伝える人の思いが不適切だったとしても
神様の預言が素晴らしいものであり
人に解放をもたらすことが変わることはありません

預言が悪いのではなく 預言を扱う人の心や
預言の吟味を学んでいないことが問題なのです

配達人は ただの配達人です
しかし その伝達方法には
伝言ゲームのような難しさがあります

配達人の一番の仕事は
メッセージをそのままに伝えて
自分の解釈を加えたり
勝手に間引きしたりしないことです

また 伝えるときの感情が
健全であることも大切であり

その健全さを保つためにも
一人でやらないことは大切だと感じました

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