神様のみこころを知る

今日から3日間 教会で預言セミナーがあります

これを受講したら預言者になれるとか
そういうことではなく
誰もに与えられる賜物が 正しく真っ直ぐ
成長するように助けるのが目的で

初日の今日は 神様のみこころを知る
というテーマでした

何故なら預言というのは神様の言葉を
取り次ぐものなので みこころがわからないと
伝え方も間違えてしまうからです

どんなに相手を愛していたとしても
相手が何を思いその言葉を言っているかは
受け取り手の心で歪んでしまいます

もし 神様に対して 厳しく裁く方だ
という間違えたイメージを持っていたら
何か過ちや失敗をしたときに
神様に怒られる!という恐れを抱きます

ですが ルカの福音書に出てくる
放蕩息子のお話を思い出してください

次男が 財産の半分をくださいと
お願いした時に 父親は
怒ったり諭そうとしたりせずに
お金を渡し 次男は去りました

そして 次男がいつ戻ってくるかと
そわそわして待っていて

全てを失い帰って来た次男を見つけたとき
抱き締めてキスをして
子どもの証である指輪をつけさせ
最上の子牛をほふり祝宴をしました

長男は それを見て憤慨しますが
父は あなたは私の持ち物を相続するじゃないか
失った子どもが生きて帰ったら
喜ぶのは当然じゃないか と
「こころを解って欲しい」と仰います

この子どもたちは いずれも
罪を犯して地にいるアダムとエバの子孫
すなわち全ての自然に生まれた人の姿です

殆どの人は親 もし親がいなければ
誰か他の人に養われて育ちます

養われるということは 多額の財産
誰かの労働により得た収穫 収入を
ただで貰って育つということです

そうやって大人になり 働くための力や
或いは本当にお金そのものを受け取り
それで自分の思うように生きています

罪を犯して滅びそうになり
神様に立ち返る人の姿が 次男であり

勤勉に真面目に働いていた人の姿が
長男です

神様のみこころを知るのは
罪人の方が早く そのことは
イエスさまを目の前にした人々に
イエスさまが仰られた通りです

真面目に働きつつも 神様のみこころを
理解していなかった指導者たちに対しては

自分が神の国に入ろうとしないどころか
入ろうとする人を邪魔していると指摘されました

宗教的な 戒めを伴う教えは
神様のイメージを壊すのです

神様の本当のお姿を知り
神様と親しく会話をすること

それは 人を創られた時からの
神様のイメージです

人には知恵知識を与えなかった
その代わりに神様と共に歩くことを
イメージして人を創られたのです

しかし人は 自分に扱う力のない
知恵知識を持ち神様から離れてしまいました

自分の欲でその知恵知識を扱いました
神様のみこころとは違う使い方をして
本来の祝福から離れてしまいました

神様は 全ての人にご自身の心を知ってもらい
親しく会話をしながら生きてほしい

なのに 人々はモーセの時代に
神様と話をして死んでしまったら困るから
あなたが話をして取り次いでくれ と
モーセを預言者としてしまったのです

神様は 全員と話すつもりでした
しかし人はそれを拒絶したのです

人々が王を求めたときもそうでした
ダビデが王として立ちはしましたが
神様は王を与えるのではなく
人が王を求めたから立てただけで
本当は全員を王のように育てたかった

神様から出た良いアイデアではなかったので
王政は三代続きませんでした

ですが 人が間違えたものを望んでも
それで失敗するとわかっていても
人が望むと神様はくださるのです

放蕩息子の次男に与えたようにです

そして それで身を滅ぼしてしまい
神様に立ち返る時に 抱き締めてキスをする

そういう神様なのです

いつでも神様は 人がご自身に立ち返るのを
心待ちにしていながらも

人が間違えたことを望んだとき
人の自由意思を尊重して
与えられる神様なのです

厳しく戒めたり怒ったりしません

立ち返ってくれることを
期待しているのです

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