祈りで共に働く者となる

今日の神様からの示しもとてもシンプルでした

私たちは証人として召されている
為されるのは神様であり
私たちではないが しかし

私たちには 祈る責任がある
ということです

本当に辛くて苦しいとき
何を祈ればいいのかもわからない時
私たちには異言の祈りがあります

ですが ある時を境に神様は
私自身がどうしたいのか
ということを 考えるように
示されるようになりました

以前も書きましたし
何度も書いていますが

神様は ロボットが欲しいわけではなく
共に働く同労者を求めておられ
私たちに証人となってもらいたいと
願っておられるからです

時に 自分には何も出来ることがない
という思いからか 一所懸命に
自分でやろうとしてしまうことがある

ですが そういった「自分勝手」を手放せば
私たちがやるべき良いことは もう
既に備えられていることを知ります

そして 建て上げられていくことと
良いものが積み上がっていくことを
見ることになり

それが 自分から出たことではないと
わかる故に 神様に全てのことを
感謝することが出来るようになる

試練はあります
ですがそれは 神様以外を手放すため
神様しかいないというところへと
至る試練であると思う

みめぐみの中で憩い 創造の力の中に
歩めることは 本当に素晴らしいです

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