聖霊による新生

今日はペンテコステ(五旬節)です

イエスさまは 復活してから40日後に
弟子たちに 力を受けるまで待つように
言い残して天に昇られました

その10日後(復活してから50日後)
集まって祈っていた弟子たちに
激しい風のような響きと共に
聖霊さまが臨まれました

それがペンテコステです

それは 旧約聖書のこの預言が
成就した瞬間でした

ヨエル書2章28-29節
その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
あなたがたの息子や娘は預言し、
年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。

その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、
わたしの霊を注ぐ。

ファイヤーカンファレンスから
2週間が経った今日 やっと
今日の姉妹との交流が持てました

何人かの話を聞いていて思ったのは
カンファレンスで起きたことは
「神様との関係にあった勘違いが
取り除かれた」人が多い ということでした

神様を知るための霊的な目が開かれた
或いは 霊的な覆いが取れたと
言った方が良いかもしれません

以前 神様が自分に何を語りかけているのか
全くわからないと言っていたある人は
ある出来事を通して語られていたことに
気が付いたことを証されていました

また 自分は神様に用いられたことがなく
用いてくれるように祈っていたある人は
過去に用いられた経験があったことを
思い出させて貰ったことを証されていました

そのように覆いが取れると起こるのは
悔い改めです

自分が抱いていた反発するような思いが
実は自分がわかっていなかっただけだと知って
神様に向き直る(悔い改める)のです

これは 神様を知る知恵知識が賜物であり
自分の努力ではないことを物語っています

そしてこの事は 私自身にも起きていました

しかし まだ何かが足りない

その「何か」が注がれたのが
ペンテコステのこの日だったように感じます

神様はとても紳士な方であるので
選択は私たちにあります

注がれたものとどう向き合うか
注がれたものがどういう意味のものなのかについて

神様に問い掛けるのも
無視をするのも人の自由です

神様の注ぐものというのは
そこに踏み出せば 神様と共に歩く
力が現れることは約束されていますが
自分の思いや やりたいこととは
かけ離れている場合があり

今回も そのようなものであると
感じています 要するに
私たちの選択で 取り零す可能性はある

私に示されていることも
間違えなく 出来れば避けたいことであり
自分がどのように向き合っていくべきか
物凄く悩ましい事柄です

ただひとつ 明確に示されたことは

この後に来るのは産みの苦しみである
ということで 次の世代へと繋げるための
大切な選択であるということでした

ある人から示されて りゅうくんが
行動した時に示されたビジョンは

繋げるべき次の世代を象徴するであろう
風景と 子どもの笑顔でした

そのビジョンを見たとき 深い平安があったので
目の前の諸々の問題にフォーカスせず
この時感じた平安を中心に据えていれば
きっと選択を間違えることはないと思いました

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